ビジネスパーソンインタビュー
「自転車で転んだら、即死します」
【コラム】異変は“消えないアザ”から。余命3カ月を宣告されても、僕は諦めなかった
新R25編集部
SHOWROOMに入社し、充実した毎日の中でがむしゃらに働く蝦名さん。しかしそんな矢先、とある身体の異変に気がつきます。
第3回は白血病の宣告までの経緯とそのときの心境、そしてセカンドオピニオンついて書いてもらいました。
異変は“消えないアザ”から始まった
派手な転び方をしたわけでもないのに、膝のアザが2週間ほど治らない。
みみず腫れのようなものもあったのですが、「治りが遅いのは年齢のせいか。もう若くないしな〜」と特に気にせず過ごしていました。
忘れもしない、2017年3月23日。
その日も、いつものように仕事を終えて帰宅。お風呂上がりにパンツ一枚で部屋を歩いていると、僕の後ろ姿を見た友人が「二の腕にアザがあるよ」とひと言教えてくれました。しかしこれが、自分ではどうにも確認できない位置だったので、写真を撮ってもらうことに。
よく見ると、たしかにそこには500円玉ほどのアザが…。二の腕なんてぶつける場所でもないし、ぶつけた記憶もない。おかしいな?と思いつつも、深くは考えていませんでした。
ちょうど母からLINEがきていたので、面白半分で「なんか全身アザだらけになってる(笑)」と送ったほど、軽い気持ちで考えていたのです。
ただ、おもしろがっていた僕とは対照的に、母からは「明日病院に行って、お願い!」と真剣な連絡が。
正直、ここまで言われても「心配しすぎだろう」とタカをくくっていたのですが、検査をすることで安心させることも “親孝行”だと思ったため、翌日に午前休を取って病院へ行くことに。
この時は、皮膚にアレルギー症状が出ているだけだと予想し、住んでいた家からほど近い、総合病院の皮膚科に予約をしたのです。
衝撃的な宣告
しかし、検査を終えた先生の反応は想定していなかったものでした。
「炎症を抑える軟膏を出すことはカンタンなのですが…ちょっと待ってください」と、ずいぶん慌てた様子の先生。
内線電話を取りだし、なにやら「今、すぐに見ていただきたい方がいまして…よろしくお願いします」とボソボソ伝えている…。
「病院の先生ってこんなに慌てるもの?」「もしかして大変なことになったのか?」という嫌な予感を、この時はじめて感じました。
そして、言われるがままに血液検査などひと通りの検査を終えると、内科の診察室に呼ばれました。先ほどとはうって変わって、こちらの先生は落ち着いています。でも、やはり様子がおかしい。
次の瞬間、先生が涙をこらえながら血液データを見せ、ゆっくりと口を開きました。
「通常の方の数値に対して白血球数が15倍、血小板数は10分の1、ヘモグロビンも基準値以下です。これらの血液異常により、免疫力はほぼなく、常にだるさを感じる、立ちくらみをしやすい、鼻血が止まらない、すぐアザができてしまって治らないなどの症状があらわれます」
血液の異常?どうしてこの先生は泣きそうなんだろう?――あまりにも急すぎる展開に、頭が追いつきません。
次の瞬間「この病気はですね…」と言いながら、分厚い冊子を机の上に置き、先生は教えてくれました。
「急性リンパ性白血病です」
「蝦名さんの今後を考えて率直に申し上げますと、白血病の末期、つまりかなり深刻な状態です」
この後は会社に行くはずだったし、今日は打ち合わせの予定でビッシリ。
一体、僕はこれから、どうすればいいのだろう?
考えれば考えるほどに、頭の中は真っ白になっていきました。
とはいえ、何も持たずにパジャマのまま病院にきていたので、「自転車でPCと充電器だけ取りに帰ってもいいですか」と気軽な気持ちでたずねると、先生は必死の形相でこう訴えたのです。
「今の蝦名さんが自転車で転んだりしたら、即死します! 絶対にダメです」
即死…この言葉にショックを受けた僕は、もうなにかを言い返す余力は残っていませんでした。
これが、生まれて初めて経験する病の宣告でした。
絶望的な“再発”宣告に、セカンドオピニオンを受けることを決意
その後、すぐに抗がん剤治療、放射線治療、移植手術と治療が始まりました。約5ヶ月に及ぶ治療を終え、無事寛解。
しかし、白血病という病はそんなに優しいものではありませんでした。
治療後、わずか104日。定期健診の後、僕は先生に呼ばれます。
それは、再発の宣告でした。
初発と再発では治る確率が天と地の差の白血病。つまり、再発してしまったということは、完全に諦めるしかない状態であることを意味します。
この時医師から伝えられたのは、“余命3ヶ月”。
ここまで、治療も耐え、会社を休み、またいつもの毎日を過ごせることを楽しみに頑張ってきたのに…。白血病発症以来、できるだけ前向きに考えようと心がけていた僕ですが、この時ばかりはそうもいきませんでした。
「残された時間はあと3ヶ月。本当に他に方法はないのだろうか…」
そう思った僕は、迷わず主治医以外の見解を知りたいと思いました。つまり、セカンドオピニオンを受けてみようと考えたのです。
しかし、僕はこの小さな無菌室から出ることができません。こんな状態で、一体どうやって病院を回ればいいのか…。
そこでサポートしてくれたのが、家族でした。
とはいえ、僕も家族も、白血病という病と向き合うのははじめて。病気に関する知識なんてないに等しいのです。この状態では、どれだけ権威と呼ばれる先生に話しを聞いたとしても、高度なディスカッションをするのは不可能でした。
そこで、まずは僕自身で白血病についての治療方法や、自分の血液データをすべて調べ、家族に勉強してもらうための資料を作ることにしました。
この資料を読んでもらい、白血病を理解してもらう。そして、無菌室から出ることのできない僕の代わりに、病院に行ってもらうという計画を立てたのです。
こちらが当時作成した資料です
家族は寝る間も惜しんで勉強し、病院を回ってくれました。兄のアイデアで、僕は無菌室からすべてのセカンドオピニオンに電話で参加することに。
ところが、セカンドオピニオンの見解は想像よりも、残酷なものでした。
6つの病院に行きましたが、結果はすべて“余命3ヶ月”の宣告。電話越しで両親の泣く声が聞こえるたびに、「親不孝者で本当にごめん」と、悔し涙が止まりませんでした。
父や兄には、これ以上仕事を休んでもらうわけにはいかない…。でも、僕は生きつづけることを諦めたくない。
そんな絶望と葛藤のなか、ある情報を入手しました。
それは、関西のとある病院であれば助かる可能性があるかもしれないということ。
もしかしたら、これが本当に最後の希望かもしれない。そう感じた僕は、7回目のセカンドオピニオンを家族に託すことにしたのです。
〈編集・構成=宮内麻希(@haribo1126)〉
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