斉須政雄著『調理場という戦場』より

仕事のバランス感覚は「掃除」で学べる。若手が侮ってはいけない“雑用”の本質

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さらば! 就職ブルー

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多くの企業で内定式がおこなわれたとのニュースが流れています。

実際に働く現場でのイベントを通じて「働く」ことがリアルになったぶん、期待と同時に不安も抱いている内定者も多いのではないでしょうか?

「希望の配属先じゃなかったらどうしよう」「就職先の給料が安そう」「先輩社員たちの働き方がブラック」…。

新R25では、そんな悩みをビジネス賢者に相談し、キレイさっぱり解消してもらおうと、特集を行います!

その名も「さらば!就職ブルー」…!!
そして今回は、「入社前に読んでおいたほうがいい一冊」を、「さらば!就職ブルー」で登場していただいた先輩方にピックアップしてもらいました。

今回は、三陽商会と手がける新しいパーソナルオーダースーツのブランド『STORY&THE STUDY』や、本人が漫画に出演したことでも話題になった『朝日新聞社×左ききのエレン Powerd by JINS 新聞広告の日プロジェクト』など広告やPRの枠を超えた注目のプロジェクトを手がける「The Breakthrough Company GO」の代表取締役でPR/CreativeDirectorの三浦崇宏さん
三浦さんが選んだのは、日本のフレンチ界の巨匠・斉須政雄さんの著書『調理場という戦場』。

23歳でフランスに渡り、12年間の修行を経て「コート・ドール」の料理長に就任した、斉須さんの激動の半生が綴られています。

言葉も分からない、スキルも未熟な状態で、歯を食いしばりながらフランス料理の極意を学んだ斉須さん。

情熱だけを胸に上へ上へと登りつめる姿に、仕事との向き合い方を教えてもらえる一冊です。

働くとはなんだろう?」「努力とはなんだろう?」そんなことを考えられる熱い同書から、「20代のうちに意識すべきこと」を3記事抜粋してお届けします!

3店舗目で出会ったオーナーに「掃除」の力を教えてもらった

仕事をやりはじめた時には、誰しも理想像を抱くことと思います。

料理人ならきっと、「高い帽子をかぶって白い服で」という姿に憧れることでしょう。ぼくも若い頃にはそんな毅然とした料理長になりたいと思っていました。

しかし、三店目の「ヴィヴァロワ」で働き出した時から、ぼくの理想はもう少し具体的になったのです。

「権威のある料理人になるよりも、透明人間みたいになりたい」と思うようになりました。この理想のモデルになったのが、このお店のオーナーのクロード・ペイローさんです。

レストランには、ワイン会社の営業の人やチョコレート屋さんがよく来るものです。だけれども、その人たちの目にオーナーの姿は見えない。

あまりに従業員然としているから、わからない。みなさん、洗い場のおじさんのように見えるオーナーに向かって「オーナーはどこにいますか?」と訊いていました。訊かれたオーナーは、洗い場のおじさんを呼びにいったりする。

三つ星を維持して引退しましたが、すばらしい人でした。お店の中には、彼のスピリットが満ちていた。

ぼくは、ペイローさんを日本で体現したいと思いました。自分でやれる大きさ以上の仕事には手を出さない…これは簡単そうで難しい。

ペイローさんはいつもうれしそうに、楽しそうに仕事をしていました。姑息さもない。表も裏もまったく変わりがない。ああいう風になりたい。

本質以外は何だかわからない人。だけど、いつも垂れ流しで自分を出している人。

ピュアの純度が高すぎて、あまり理解されていない。世俗的なところがなく、レストランを通して社会奉仕をやっているようでした。

午後の仕込みに必要な食材を、率先して自分で買ってきて「これ買ってきたけど、これでいい?」と訊くんですよ。

働いているぼくが「ありがとうございます」と言うと、「ありがとうは、わたしだ。わたしのために働いてくれているのだから、ありがとうはわたしだ

彼の立ち居振る舞いを見ると、世界は広いなぁと思わされました。ほんとうに尊敬しています。お客さんがすごく喜んで「今日の料理はすばらしかった」と言う。そうすると彼は厨房にお客さんをいきなり連れてくるんです。

「すばらしいのはわたしじゃない。彼が作ったんですよ、この子

オーナー本人がやっていることと言えば、一日じゅう掃除をしている…ほとんど掃除しかしていない。

彼の印象に残る姿と言えば、「掃除をしている姿」です。

乱雑な職場だと、乱雑な仕事しかできない

レストランで何よりも重要なのは「清潔度」だということや、お客さんに対する家庭的な態度…ぼくは大切なことの大半を彼から教わったような気がします。

仕事場のありようや空気は、そっくりそのまま仕事に映し出されると知りました。大切なのは、簡潔であり、清潔であり、人間性があるということです。

「整理整頓がなされていることは、仕事がきちんとなされるための基本なのだ」ということが、このお店に来てよくわかった。

乱雑な厨房からは、乱雑な料理しか生まれない。大声でわめきたてる厨房からは、端正な料理は生まれない。

最初は掃除の回数が多いことに驚きました。仕事が一段落したら、いつも掃除をしているのです。「誰かが作業中だからその人は抜かす」ということはありません。必ず全員で掃除をする。

ほうきで掃き出すことも、掃除機で吸い込むこともない。

床の汚れもどこの汚れも、いつもぞうきんで拭き取っていました。10枚ぐらいのぞうきんを常に洗ってゆすいで汚れているところに投げる人がいる。

そして各セクションの持ち場にいる人たちですべての汚れを拭き取るのです。これを全員でやっているのです。落ちているものをなくすまで、掃除は続きます。

朝に掃除をします。昼のための仕込みが終わって11時頃に賄いのごはんを食べます。食べ終わったら掃除。そして昼のサービスが終わるとまた掃除をする。6時からサービスがはじまりますから、5時に賄いの食事を食べる。

食べ終わったらまた掃除。そして夜のサービスが終わる10時か11時にまた掃除をする。つまり、1日5回の掃除です。

それ以外にも、日頃できない細かな掃除が並行しているのです。仕込みをしているか、掃除をしているか、というぐらいだった。

掃除をすることで、心が整理される

掃除に関しては小さな思い出があるのです。

すばらしいレストランですが、ぼくは最初はとても緊張して毎日を過ごしていました。それまでの田園生活から一変して、パリの三つ星レストランに来たわけですから。

こんなすごいお店で、ぼくはやっていけるのだろうか?

最初は、都会の環境とお店のグレードに呑まれないように、ぼくなりに必死でした。チームメイトとの水準の違いに、場違いではないかという疎外感を覚えていたし、精神的にも三つ星のプレッシャーを受けていた。少し混乱していたかもしれません。

パリに来て間がなかったある週末、自分の部屋の掃除機の中に毛玉が入り込んでいて、動かなくなっていました。

前の人の使っているものを譲り受けていたから、だいぶ古い掃除機です。使えるようにするために、掃除機を開けて毛玉を掃除することにしました。

午後の陽だまりの中、新聞紙を下に敷いてその上にあぐらをかき、ひざの上にそれを広げて作業をはじめたのです。

そうしたら、理由はよくわからなかったけれど、掃除機の毛玉をきれいにしている途中に、とても心が満たされた

やっていることは煩雑な操作です。毛玉をひとつずつほぐして除去していく、面倒なだけの作業だった。でも…。

「この掃除機は、今の自分のような状態なのではないか?」やりはじめると、そんなように思えて心がやすらいだのです。

パリに出てきてグチャグチャになっている自分の姿に見えた。「巻き込まれている毛玉だのゴミだのは、こんがらがって混乱したぼく自身の感情なんだ

クシを使ってゴミを掻き出すというバカみたいなことなんですよ。端から見たら、休みの日にムダな作業をしているだけの姿でしょう。

でも、このゴミの除去は、とても大切なことに思えたのです。少しずつだけど、ひとつずつしか進まないけれど、自分でやらなかったら何も変わらない。

目の前にある課題は、自分で丁寧に解きほぐすしかない。ひとつずつ解きほぐせば、必ずうまくいくはずだ。

不安を抱えながら混乱していた時期だったから、問題が解決するということ自体が、ありがたかったですね。

パリでの生活に呑まれて、もしかしたら最初のボタンを掛け違えてしまうかもしれない時期だった。

だからこそ、あの週末に掃除機の毛玉に出会えたことは、とても幸運だったような気がします。そのあとのフランスの生活が、がぜん楽しくなったのです。

今のお店でも、ぼくは掃除を第一にしていますね。掃除ができない人は、何もできないと思います。

掃除や雑用について、視点を変えて見てみると、人が手を染めたがらない作業の中に、多くのヒントがありますね

ぼくにとっては、掃除や雑用を通じて感じ、考え、整理された多くの体験が、あとで料理人として自立する上で大きな原動力になっていきました。

仕事のバランス感覚は「掃除」で学べる

過ぎたるは、及ばざるがごとし

掃除と雑用を通してぼくが実感したのは、そんな古い諺でした。例えば、調理場で働き出した人は、ほとんどの人が洗い場からのスタートになるでしょう。

そこでどのような手順で、鍋や皿や多くの食材、フキン、調理器具などを洗うか。

これはお湯をかけたあと、スポンジや金ダワシに洗剤を加える時に、汚れをちょうどきれいに落とせるぐらいの、最小限の洗剤濃度で洗うべきなのです。

壁や床を掃除するということも、基本的には同じ方針であるべきでしょう。

洗剤が強いと一瞬できれいになるというイメージがありますが、反面、ゆすぎに多くの水と時間を必要とします。

必要以上の行為が、時として膨大な無駄を生むこともあるのです。

料理や対人関係にしても、尽くしすぎるのがいいかと言うと、そうではないですよね。強すぎると、飽きが来てしまう。

必要最小限のシンプルなすばらしさ…そのバランスにたどりつくまでに、なんともスマートならざる試行錯誤を重ねていくというわけです。

そういったバランス感覚は、掃除雑用からも、十分に学び取ることができると思います。

雑用全般を、高水準でなんなくこなせるようになったならば、その人の技術は、すでに料理長の領域にあると思うのです。他の職業でも、同じことが言えるのではないでしょうか。

掃除をすることは、料理人としての誇りを保つための最低条件であると考えています。

こんなに薄汚れたところでいくら頑張っても無理だろう。自分の夢は成就できないかもしれない

汚い環境では、最後まで邁進するパワーすら出てこないと思う。そして、絶えず汚い環境で育ってしまえば、後々にクリアな環境になじむこともできない。

そして、清潔度は毎日やらないと保たれないものだから、貯金しておけない。愛情や信頼と同じですね。

その意味でも料理を毎日やり続ける姿勢にとても近いのです。

「働くとはなんだろう?」を教えてくれる至高の一冊

調理場という戦場「コート・ドール」斉須政雄の仕事論

調理場という戦場「コート・ドール」斉須政雄の仕事論

社会人になると、まわりにいる同期がみんな「仕事ができそう」に見えてしまいがち…。

しかし焦って空回りするよりも、まずは目の前の仕事に丁寧に向き合うことが大切だと言います。試行錯誤をし愚直に学び続けることで、きっと抜きん出れる瞬間がくる。

斉須さんの熱い言葉のシャワーを浴びて、就職ブルーを吹き飛ばしましょう!