めがね旦那著『その指導は、しない』より
「ごめんね、いいよ」のやりとりは解決にならない。小学校教師が指摘する“叱る”マネジメントの誤り
新R25編集部
上司や指導者になったら、部下やメンバーが間違った行動をとったとき、強く言わないといけないときがあります。
しかし相手に対して怒った態度を取ると、自分自身いい気はしない上に、相手に本当に届いているのか不安になってしまう時もしばしば。
そこで、Twitter上で学校教育について発信している、小学校教師のめがね旦那さんは「『叱って』あげるのが教育」という学校教育の流れに異を唱えています。
めがね旦那さんが、新著『その指導は、しない』のなかで語る、学校教育の現場で体感した「叱る」と「諭す」の違い。
著者は「本当に子どものためになっているのか」という考察から、あらゆる「学校のあたりまえ」を見直しています。
私たちビジネスパーソンにとっても参考になるかもしれません。
社会の「当たり前をうたがう」ヒントがこの本にあります。
「怒鳴る」に寛容な学校現場
僕の学校にも残念ながら小学生相手に「怒鳴る教員」が存在します。
低学年にも高学年にもいます。
そこにどんな理由があるにしろ、大の大人が小学生相手に怒鳴るという行為については社会全体でその意味について考えるべきであると思います。
実は僕も恥ずかしながら、過去には「怒鳴る教員」でした。
「子どもに舐められてはいけない」、「少しでも弱いところを見せたら学級崩壊してしまう」。
怒鳴ってしまう教員側の思いもわからなくはないのですが、やはり教員は学校教育という場で子どもに対しては怒鳴ってはいけない。
反抗的な態度を取る子どもはもちろんいます。
対教師への暴力行為を働く子どもだっています。
僕の身体には子どもにつけられた傷が今もあるし、いきなり、高学年男子にみぞおちを殴られて数秒間呼吸が止まった経験だってあります。
しかし、大人である我々が本気を出して怒鳴り続けて子どもを追い込み続ければ、いずれは「どちらかが」ギブアップして学校へ通えなくなります。
つまり、その道の先には決してハッピーエンドは待っていない。
双方の心に消えることのない傷を残すのです。
それにしても、学校現場は子ども相手に「怒鳴る」ことに寛容です。
「先生が怒鳴るほどの悪いことをした子どもが悪い」多くの教員と子どもたちは心の中でそう思っています。
でも、果たして本当にそうなのでしょうか。
“叱る”ではなく“諭す”
子どもは間違えながら成長していきます。
それが良い行いか悪い行いかの判断がつかないこともあるでしょう。
仮に悪いと分かっていても、してしまうことがあります。
そうして失敗を繰り返していきながら、子どもは成長していきます。
「失敗してしまったときはしっかりと『叱って』あげるのが教育だ」これには何の異論もありません。
しかし、日本の教育現場における「叱る」には「怒鳴る」が含まれがちです。
僕はここを明確に分けたいのです。
そこで、僕から新しい言葉の提案があります。
「諭す」というのはどうでしょうか。
我々の職業は「教諭」のはずです。
怒鳴るという手法に頼らなくても、子どもたちを導いてあげられるのではないでしょうか。
「叱る」と「怒鳴る」は分けきれなくても、「諭す」と「怒鳴る」は分けられるはず。
自分の湧き上がる感情をグッと抑えて、冷静に言葉で「諭して」あげることが本当の教育者の姿なのかなと、いつも自分に言い聞かせています。
僕が怒鳴らなくなったきっかけとして、ある言葉があります。
「人前で怒鳴るということは感情の抑制ができない人間だ」この言葉はとても胸に刺さりました。
対人間、ましてや子どもたちと関わる仕事なので感情を抜きにはできない仕事ではありますが、喜怒哀楽の「怒」に関しては抑制していかないといけないと強く思った言葉です。
その指導は、しない
ごめんねいいよ指導
学校現場で一番多い仕事は「児童間のトラブル対応」かもしれません。
それもそのはずで、子どもたちはまだ「他人との適切な距離」を掴めていません。
トラブルを繰り返しながら、自分と相手の心地よい距離感を掴んでいくものだと僕は考えています。
だからこそ、トラブル対応は小学校教育の真髄であると信じている僕が不満をいだいている指導が「ごめんねいいよ指導」です。
二人の児童が喧嘩をしています。
話を聞くと、片方が手を出してしまったらしいのです。
喧嘩の仲裁をした先生が双方の話もそこそこに「じゃあ、謝りなさい」と言い、加害児童が「ごめんね」と言います。
被害児童はそれに対して「いいよ」と言う。
これで解決したという指導です。
この書き方だけだと、なんでこんな指導がまかり通っているのかと不思議に思う方もいるかもしれないので、少し補足説明をさせてもらうと、おそらくこの指導の目的は子どもの気持ちに「区切り」を付けるためかと思います。
「謝罪」にたいして「許し」をさせることで、問題を終わらせて次の活動につなげようとする。
おそらく、保育園や幼稚園レベルでは割とよくある指導なのだと思います。
実際、それくらいの年齢の子どもたちはこの「ごめんねの儀式」と言われる指導で気持ちに区切りを付けられる子どもが多いそうです。
さて、それではこの指導がそのまま小学校でも行われることはどうなのか。
もちろん、この指導で気持ちに区切りを付けることができる子どもがいないとは言いません。
子どもの心の年齢は実年齢通りではないこともたくさんあるでしょう。
でも、そうだからこそ、トラブル対応にはもう少し慎重になるべきという意見もまた尊重されるのかと思います。
教員側の都合の話をすると、実は「児童間のトラブル対応」は当該児童だけの問題では
ないのです。
その子どもたちの保護者もその行方を気にしていることがあるのです。
子どもがモヤモヤを残して帰ったあとに、保護者にそのトラブルのことを話して、保護者がその件について学校へ電話をかけて内容を詳しく聞くということはもはや日常茶飯事です。
そのときに教員側の言い分として「謝罪と許し」があったことを伝えるのです。
一応の対応はしましたよ、というアリバイ工作にもなってしまっている側面が見え隠れします。
でも、こうなってしまっては、それはもうトラブル対応ではないですし、冒頭で述べた「トラブル対応は小学校教育の真髄」という言葉が寂しく響きます。
実はこの「ごめんねいいよ指導」にはさらなる弊害があります。
それは子どもの認識に及びます。
つまり、このような指導を繰り返されてきた子どもたちは「ごめんねと言えば、いいよと言ってもらえる」という誤った学びをしてしまうことがあるのです。
でも、人間の心はそんなに簡単ではありません。
謝られても許せないこともあるでしょう。
しかし、「ごめんねの儀式」にはその「余白」がありません。
なぜなら、その目的が「区切り」を付けることなのだから。
実際、子どもたちはこんなことを教師に訴えてきます。
「あの子、僕が謝ったのに許してくれない!」
これは対人関係における大きな歪みではないかと僕は危惧しています。
正しい問題解決への導き方とは
ここで、僕のトラブル対応の方法を紹介します。
まずは、双方の話を一人ずつ聞きます。
このときの注意点としては「話を割り込ませない」です。
興奮している場合もあるので、落ち着いて話せる子どもの方から話してもらって、それを聞きながら落ち着いてもらうクールダウンの時間にしてもいいかもしれません。
そうやって一人ずつの話をしっかりと聞いた上で、僕がそのときに起こった出来事をはじめから終わりまでストーリーにして話します。
そして、双方にそれで間違いがないかを確認します。
間違いがあれば、丁寧にストーリーを訂正していきます。
このようなトラブルのほとんどは教員が見ていない所で起こるので、このストーリー作りが大切です。
ストーリーの確認作業が終われば、あとは、教員がそれを聞いて感じた点を双方に伝えます。
「言い方が悪かった」、「手を出す前に口で気持ちを伝えればよかった」など、次に同じような場面があったときの対応をアドバイスします。
最後に、双方に「言い足りないことがないか」を必ず確認します。
どうしても教師側が主導で話を進めがちになってしまうので、複数回、子どもたちが話をする機会を作ります。
ここまでの対応をすると、やはりどうしても時間がかかります。
休み時間の10分間で終わらないこともしばしばあります。
しかも大抵のトラブルは、休み時間の終わりに起こるので、授業開始のチャイムからトラブル対応ということもあります。
そんなときには「この授業が終わって、まだ話し合いたいと思うのならおいで」と声をかけることもあります。
大切なのはモヤモヤとの向き合いかた
気持ちを切り替えるのが上手なのもまた子どもです。
トラブル対応をあえてしなくても次の休み時間にはまた遊び出すということも、これまたよくあります。
そういった場合には、時間のあるときに「さっきのトラブルどうする?」とこちらから聞いてあげてもいいかもしれません。
大切なのは子どもの気持ちに「モヤモヤ」を残さないこと。
不満は時間が経って増幅することもしばしばあります。
でも、その「モヤモヤ」が生活指導において大切になるケースも合わせて紹介します。
例えば、加害児童の行いがどうしても許せない被害児童がいた場合は、加害児童に「ごめんね」を言わせた上で、被害児童に「いいよ」を言わせないというものです。
「あなたのしたことはとてもひどいことです。
だから、すぐには許してもらえません。
これからのあなたの振る舞いを先生たちは見ています。
『ごめんね』には『もうしない』という意味も含んでいますよ。」
このように加害児童に「区切り」を付けさせない。
このような指導も大切なのかと考えます。
新しい教育観を教えてくれる一冊
その指導は、しないそんなに簡単に教育は変えられません。
しかし先生や保護者、一人ひとりの「教育観」なら少しは変えられるかもしれない。
そうして少しずつ少しずつ教育をアップデートしていくことならできるのかもしれない。
めがね旦那さんはそんな思いをTwitterで呟いているそうです。
同書では、「当たり前」になってしまっている残念な指導文化や、教育の本質といった内容が、実際に現場に立つめがね旦那さんの経験によって具体的に紹介されています。
めがね旦那さんが考える新しい学校教育の指導法。
将来自分の子どもを育てることになったときはもちろん、部下のマネジメントや組織体制の改善にも参考になります。
会社にも漫然と繰り返される行事などがあるのではないでしょうか。
本書ではそんな「思考停止した状態」で続けられる慣例で、人権を侵害してしまってはいないか、熱心さゆえに、相手の自由を奪ってしまってはいないか。
めがね旦那さんのまっすぐな洞察力をひも解くことで、ビジネス現場での改善点がきっと見られます。
同書を読んで、新しい価値観に触れてみてはいかがでしょうか。
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