レスリー・バーリン著『トラブルメーカーズ 「異端児」たちはいかにしてシリコンバレーを創ったのか?』より
「金持ちになろうとして会社を立ち上げてはいけない」アップルの分裂から経営再建まで
新R25編集部
新しいビジネスモデルで世界に影響を与え、急速に成長していく企業を起こすことに憧れを持つ若者がますます増えています。
今や時価総額2兆ドルを超えるアップルも、もともとは若きスティーブ・ジョブズとスティーブ・ウォズニアックの2人が立ち上げたスタートアップ企業でした。
しかし、起業当時のアップルは「とても会社と呼べる状態ではなかった」と、シリコンバレーの郷土史家でニューヨーク・タイムズ紙のコラムニストでもあるレスリー・バーリンさんは述べています。
そんな状態だったアップルを急成長ラインにのせたのが、初代会長のマイク・マークラの存在にあります。
今まであまり語られることのなかったマークラの活躍が『TROUBLE MAKERS トラブルメーカーズ「異端児」たちはいかにしてシリコンバレーを創ったのか?』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)では語られています。
イノベーションの本質を学ぶことができるアップルの軌跡と困難を、同書より一部抜粋してお届けします。
熱狂のうちに終わったIPO
アップルは急成長するパソコン市場で台風の目だった。
革新的な新興企業であり、一般には「セクシー」というイメージを得ていた。
IPOを数週間後に控えて投資家の間では期待が膨らむ一方だった。
メディアは「アップルが1977年以降に起こしたイノベーションはお見事。過去100年間の民間イノベーションの大半を凌駕している」とはやし立てた。
12月12日のIPOは熱狂のうちに終わった。
資金調達額は9千万ドルに上り、アメリカ史上最も成功したIPOの一つになった。
取引終了時点で株価は28.50ドル。
マークラが持つアップル株の時価は2億ドル(2016年価格で5億4千万ドル)以上に膨らんだ。
言い換えると、4年前にマークラが投じた1ドルは2200ドル近くになったのだ。
どんな物差しで見てもガレージからの成長物語は驚嘆に値した。
当然ながら盛大な祝賀会が用意された。
急ピッチで進む新規採用、社内で広がる分断
パーティーの浮かれ気分は永遠に続くかのように思われた。
だが、現実にはすぐに暗雲が垂れ込み始めるのだった。
アップルは急ピッチで人材拡充を進めていたので、全社員の半分近くがIPO以降の新規採用組で占められるようになった。
こうした状況を受けて、インテル出身の人事担当副社長アン・バウアーズは懸念を強めた。
経営幹部宛てに緊急メモを配布し、その中で「社員数がほぼ倍増するなかで、社員1人当たり売上高で見た生産性は40%低下しています」と警告した。
「われわれは人海戦術で問題を解決しようとしているように見えます。
ですが、果たして新規採用組は何をしたらいいのか分かっているのでしょうか?
正しいやり方で問題に対処しているのでしょうか?
このまま社員数が増え続けたらアップルは駄目になります」
1981年時点でアップルが生産中(あるいは開発中)のマシンは4種類に上った。
アップルII、アップルIII、リサ、マッキントッシュである。
それぞれに独立した部門があり、独自のスタッフと独自の文化を持っていた。
組織内はマシンの種類ばかりか、入社の時期でも分断されていた。
IPO以前の入社組とIPO以後の入社組であり、全体として前者が後者よりも格段に金銭的に恵まれていた。
持ち株が大幅に値上がりしたからだ。
さらには新規入社組内でも分断があった。
幹部陣は大量のストックオプションを付与されており、一般社員にとって不満のもとになっていたのだ。
社員の不満は多方面に及んだ。
設計変更指示をめぐる新ガイドラインの場合もあれば、採用方針や意思決定プロセスの場合もあった。
社員の間で広がる燃え尽き症候群も表面化していた。
元アップル社員の一人は当時の状況について、
「1日12時間労働、週末も出社していました。
水飲み場で喉の渇きを癒やすのもためらいました。
リズムが崩れて作業に狂いが生じるかもしれないと不安になったのです」
と説明する。
冷静な社長と情熱的な会長で経営を再建
マークラは「人生で最もつらい決断の一つ」を行った。
友人でアップル社長のマイク・スコットに辞任を求め、代わりに副会長ポストを用意したのだ。
スコットは副会長職に数カ月だけとどまり、会社を去る。
スコットは後継者を育てていなかった。
人事責任者のアン・バウアーズは「アップルという組織を熟知している人が社長にふさわしい」とマークラに提言した。
彼女の見立てでは、スコットの後任として社長を務められる人材はマークラ以外に存在しなかった。
夢にも思わなかった社長に任命されるマークラ。
冷静な社長(マークラ)と情熱的な会長(ジョブズ)はちょうどいい組み合わせだったようだった。
マークラは「スポンジのように職場のストレスを吸収する存在」であり、感情の起伏の激しいジョブズの緩衝材になっていた。
マークラは消費者ニーズを読むジョブズの眼識を高く評価していた。
聡明なクリエーターが大勢いる中でもジョブズは際立っており、経験を積んで成長すれば素晴らしいリーダーになれるとみていた。
一方で、ジョブズは優れたビジネスセンスを持つ経営者としてマークラを尊敬していた。
会社のイメージ戦略の一環としてディテールにこだわる経営哲学についてもマークラから学んでいる。
その結果、「消費者はさまざまなディテールから企業に感情移入する」との信念を持つようになった。
ジョブズは後にマークラについて
「マイクは私と価値観を共有していました。
金持ちになろうとして会社を立ち上げてはいけない、と強調していました。
自分が信じるものを創り、会社を永続させることを目標にするべきだ。
これが彼の信条でした」
と語る。
マークラはジョブズと役割分担し、経営全般を見ていた。
まずは組織再編成に着手し、3カ月間で新たに副社長を4人雇い入れた。
持ち前の計画性を発揮して全社員を集めた会議も開催し、次年度の予算や優先プロジェクトを議論する場として位置付けた。
「社員全員に自分自身の役割を認識してほしかったし、会社がどこにカネを投じているのか知ってほしかった」とマークラは語る。
「全社一丸となるためには、社員同士がお互いに何をしているのかつかんでおくのも大事でした」
実際は奇跡なんて起こしていない
1981年8月日、彼がアップル社長に就任して5カ月後のこと。
コンピューターの巨人IBMが初のパソコン「IBMPC」を発表した。
IBMマシンはビットのインテル製マイクロプロセッサーを採用し、アップル製マシンと比べて速さの点でもメモリー容量の点でも勝っていた。
しかも、アップル製マシン以上に複雑な作業をこなせるという。
IBMはフロリダ州ボカラトンに極秘開発チームを設け、たったの1年でマシン開発を完了していた。
PARCの口ひげオルガン奏者アラン・ケイ(近い将来アップルに「フェロー」として加わる)はこう言うのだった。
「アップルがIBMにようこそと言うのは、洞穴の原始人がサーベルタイガー(剣歯虎)を洞穴内に招き入れるようなものだ」
IBMの参入を予期していたマークラは「IBM参入前に圧倒的市場シェアを確保して攻勢をはね返す」という作戦を思い描いていた。
彼にとってIBMの登場は「ビタースウィート(うれしくもあり、つらくもある)」な出来事だった。
コンピューター業界の巨人がパソコンを認めたという意味で「うれしい」ものの、強大な競争相手が出現したという意味で「つらい」のだ。
アップルにとっての脅威は、豊富なソフトウエアに支えられたIBMPCにとどまらなかった。
いわゆる「IBM互換機」がパソコン市場に大量に出回るようになったのだ。
マークラは
「IBMの参入でパソコン市場の認知度がぐんと高まったのは良かった。
けれどもアップルにとっては逆風でした。
それまで競争相手は1社だったのに一気に20社に増えたのだから」
と言う。
IPOを行った1980年がアップルにとって驚異的成長と祝福の年だとすれば、1981年はマークラとアップルにとって正念場の年といえた。
マークラは1981年の年次報告書の中で「成長しているからといって内的・外的な問題を覆い隠せるわけではない」と厳しい現状を認めている。
地元記者とのインタビューの中ではより踏み込んで
「外から見ればアップルは奇跡を起こしているように見えるかもしれませんが、実態は違います。
奇跡なんて起こしていません」
と語っている。
シリコンバレーを支えた、知られざる7人
『トラブルメーカーズ』の冒頭には以下のように記されています。
『トラブルメーカーズ』一握りの天才がそれぞれ単独で大成功し、シリコンバレーを生み出したわけではないのだ。
確かに脚光を浴びるのは個々のスター起業家であるものの、周辺にいる「見えざるヒーロー」の存在を忘れてはならない。
同書にはマークラのような、見えざるヒーロー達を軸にしたシリコンバレー史が詰まっています。
自分自身のキャリアをかけて若手起業家を支えたヒーローの物語から、恐れずに進みつづける勇気が学べる一冊です。
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