羽生善治著『直感力』より
すべては「経験のものさし」が左右する。羽生善治に聞く、スランプとの向き合い方
新R25編集部
コロナ禍で先の見えない時代にあって、どのように行動を取ればいいのか不安に思う人が多いのではないでしょうか。
「次の一手が見えてこない」
そんな、混迷の時代において意思決定に迷いを覚えている人は多いはず。
将棋棋士の羽生善治さんは、2012年に上梓し、このたび2020年12月に文庫化された著書『直感力』のなかで、次のように語っています。
「何をしたらいいのか、どうなっているのか見えにくい、分からない時代を生きていかねばならない。そのときのひとつの指針となるのが直感だ」
羽生さんの語る「直感」とは一体どのようなもので、直感力を磨くにはどうすればいいのか。同書より抜粋してお届けします。
スランプのとき、いかに心を処するか
棋士の現役生活はとても長い。
平均すると20歳前後から60歳前後まで、長い人だと10代から70代まで現役というケースもある。
それだけ長いと、当然ながら浮き沈みもある。過去の実績はほとんど役に立たない。
一年一年が勝負なのである。
よいときにそれをいかに継続して伸ばしていくかも大切だが、スランプになってしまったときに、どのように対応するかでも真価が問われているのだ。
当然ながら気持ちも落ち込むし、何が有効な手段かが皆目分からないときもある。
これをすれば効果があるという特効薬はないし、簡単に切り抜けられるならばスランプとはいえないだろう。
もがけばもがくほどに状況が悪くなってしまうサイクル、あるいは分かっているけどできない、やれないことをどのように打破していくかだと思ってもいる。
しかし、自信を失い不安を抱えている状況では最初の一歩さえ踏み出せないケースもあるのだ。
スランプでちょっと勝てないだけならいい。
それについて考え込む必要はないのだが、ただいかなる結果になったにせよ、それが全部そのときの自分の力だ。
それはそれで事実として認めることが大事だと思う。
そして、実力がないのであれば、要は実力を上げればいい。
それには一生懸命努力するしかない。
運に頼っていてはダメだ。一生懸命頑張って、根本的な地力をつけるしかない。
ただし、勝負の結果がすべてではない。
また、自分の調子が上がっている状況での結果なのか、下がりつつあるときなのかでもまた違う話だ。
新しい戦法があるのであれば、それも学ばなければならない。
対策も立てなければならないが、それだけでは次々と生み出される現代の将棋についていくだけになってしまう。
それらも踏まえた上で、いかに自分の価値観を貫くやり方、スタイルを築き上げるか。
勝ち負けの結果よりも、重きを置くべきはそこだろう。
スランプも3年続けば実力。
勝敗そのものよりも、そのときその状況をどう受け止めて、そこから何を学ぶか、何を自分に課していくかが、そこから再び浮き上がれるか否かの分岐点となる。
「経験のものさし」が不調を乗り越える助けとなる
調子は、上がることもあれば、沈むときもある。
負け越しているときの自分といかに向き合うか。
不調というのは、まだ成果や結果が出ていない段階のことだと思う。方向性も間違っていないし、やっていることも適切だ。
しかし、まだ形にはなっていないという状態が、いわゆる不調のときだ。
そういうときには、ひとつには努めて気分を変える。
方法は、なんでもいい。
朝、早起きすることでもいいし、髪型を変えることでもいい。趣味を始めるでも、やめるでもいい。何でもいいのだが、気分を変えると、続けられることもある。
しかし、成果が出ないときに、自分のやっていることが正しいと信じるというのは非常に難しい。
ひょっとしたら間違っているのではないかと、自分で自分を疑うこともある。成果が出ないだけでなく、3回も続けて負けたりすると、やはりやり方が悪いのではないかと、自分の歩み自体を疑ってかかるようになるのだ。
そのとき大きな助けとなるのが、「経験のものさし」だ。
それは、自分が生まれ育ってきた時間の中でつくられる。
幼い頃からのさまざまな経験、見聞きしたこと、学んできたことによって、人はそれぞれのものさし、定規を持っている。
何かを成し遂げた経験や、あれこれのことをマスターした経験から「経験のものさし」はつくられる。
どんなことでもいい。
たとえば、2週間くらい練習して竹馬ができるようになった乗れるようになったこととか、車の運転免許を取るために教習所へ2カ月通ったこと。
受験勉強には丸々2年かかったこと。
いずれも、これくらいの時間と労力と情熱を注いだらこれくらいのことができるようになった、というものさしだ。
それが、何か事に当たるときのひとつの基準になる。
当然、簡単なものは短い時間でできるから、短いものさしとなるし、途方もない努力と時間を費やさなくてはできないようなものであれば、非常に長いものさしということになる。
そして、それらの自分が学んでつくりだした「経験のものさし」によって、人は何か事に当たるとき、その時間の不安に耐えられるようになる。
そのものさしの種類が豊富であればあるほど、人は自信をもって進むことができる。
これから取り組むことの不安に耐え、余分な思案や迷いに時間も労力も費やさずに済むようになれるのだ。
「経験のものさし」が、焦らずに進んでいくためのひとつの武器になる。
そのものさしをもっていることで、努力の見込みといったものが立つ。成果が出るようになるまでに必要な努力の量と質が、なんとなく見極められるようになるのである。
急がば回れ——何事であれ、すぐに成果を出すことのできる特効薬などない。
年齢を重ね、大小さまざまな「経験のものさし」を携えることで、そういったことも、なんとなく分かっていくということだろう。
若いときのほうが焦ることが多いのは、そういった「経験のものさし」をもち合わせてないからではないだろうか。
不利な状況をシミュレーションする
将棋は一手一手が因果応報。原因と結果がはっきりとしている。
しかし、今日の努力は、少なくとも3カ月後、1年後といったタイムラグがあった後に、初めて結果としてあらわれることが多い。
新しい戦法を試そうと思えば、たいてい最初は失敗を重ねるだろう。
だからといって、あきらめてはいけない——と言うのは簡単だが、必ずしも永遠にあきらめないことがいいわけではない。
たとえば、あらかじめ期間を決めておいて、その期間を過ぎても身につかないようであれば、その戦法は潔くあきらめることも必要だ。
実戦では、自分のほうが不利な場面を想定している時間が9割くらいある。
たいていは展開の悪い場面、不利な状況についてシミュレーションしているのだ。
常に、「この状況をなんとかしなければ」と考えている。
ただしそれは、「不安がる」こととは違う。
漠然とした状況を心配し、不安になって考え込むことではない。それは実際の厳しい勝負の場では当然のことなのだ。
盤面上では自分が有利に、うまくいっている状態のことを考えても仕方がない。
こうすればうまくいく、というその手に辿り着いたところで満足しては、そこでもう思考停止となってしまう。
そうではなく、不利な場面をたくさん想定し、実際には回避する。
その積み重ねが「あきらめない」精神を築くことにつながっていく。
また同時に、それは「ターニングポイント」を知る訓練にもなる。
つまり、ここが勝負どころだとか、分岐点だとかいうポイントが、感覚として分かるようになるということだ。
たとえば、指すべき手筋が分かっていながらミスをして負けてしまったのであれば、納得がいく。
それは実力で負けたのではないし、修正点も明らかだからだ。
しかし、敗因が分からないまま、終わってしまうこともある。
ターニングポイントに気づかない、その瞬間が見えなかったということだ。
どこがターニングポイントだったのか。
それはもうそこからどんなに頑張っても粘ってもダメという局面だったのか、細い道ながらも可能性はあったのか——といったことを、終わってからでもきちんと検証しておくことが必要だろう。
勝った、負けたといった結果で終えるのでなく、その分岐点を見極めておくことだ。
筋を読めたか読めなかったのか。事実上の決着はいつ、ついていたのか。
勝敗の分かれるターニングポイントを認識することができるようになれば、その先まだあきらめないで頑張るべきか、いやもうここはあきらめたほうがいいといった判断が明快にできるようになる。
そして無駄な粘りをせず、必要な頑張りができるようになるだろう。
直感力は「磨ける」
直感というと、先天的なもののように思えるかもしれません。
今回、紹介した羽生善治さんの著書『直感力』では、その正体と磨き方、そして現代社会でどのように活かせるかに至るまで、具体的に語られています。
直感力を働かせる回路は鍛えることができる。同書でその真実をぜひ確かめてみてください。
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