ビジネスパーソンインタビュー
仕事は消去法でマスコミ・出版に決めた
箕輪厚介「“好きを仕事にしたい”って憧れるのは違う。大事なのは主語を“自分”にすること」
新R25編集部
記事提供:20's type
編集する書籍は軒並み大ヒット。そして“いち編集者”の枠を超え、オンラインサロンの運営、アーティストのプロデュース、時にはプロレスのリングに上がることも。
箕輪厚介さんといえば、「好きを仕事に」しているトップランナーとして、多くの20代が憧れる存在だ。
そう箕輪さんに振ると「いや、“好きを仕事に”なんて思ったことはないんですよ」と笑った。
「苦手なことをやっても、社会人として続けていけないと思っただけ」という、ある種消極的な理由で出版社を志した箕輪さん。「好きを仕事にしたい」と熱くたぎる20‘sに対して思うことを伺った。
【箕輪・厚介(みのわ・こうすけ)】1985年生まれ。東京都出身。2010年双葉社に入社。2014年から編集部に異動し『たった一人の熱狂』見城徹/『逆転の仕事論』堀江貴文/『空気を読んではいけない』青木真也 などを手がける。2015年7月に幻冬舎に入社。『多動力』堀江貴文/『ブランド人になれ!』田端信太郎などのを手掛け、ヒットメーカーとして活躍。アーティスト「箕輪☆狂介」の出版プロデューサー
「好きなことで生きていく」は、夢のある話なんかじゃない
「好きなことで生きていこう」って、夢や希望があるとか、楽しいことみたいなイメージがありますけど、そんなハートフルな話じゃない。
良いか悪いかは別として、好きなこととか熱中できる仕事じゃなきゃ、周りと差がつかない時代に“なっちゃった”だけだと思うんです。
嫌いな仕事を機械的にやっているような人の価値はどんどん下がり、逆に異常に熱狂していたり、狂おしいまでの偏愛を持っていたりするいびつな人は、代わりがきかないから価値が上がってきただけの話です。
そしてひと昔前なら、お金をたくさん儲ける人が若者の憧れの対象でした。
だけど最近では、僕やホリエモン、西野(亮廣)さんみたいに、毎日がアドベンチャーみたいに“楽しそう”な人が憧れられるようになった。
しかも一見簡単そうじゃないですか、「好きを仕事に」って。
だから皆躍起になって「好きなことで生きていくぞ!」みたいになってるし、僕が先導しているような節もあるけど、実際そんなキラキラした楽しいだけのものではないんです。
そこには泥臭い仕事だってたくさんありました。だから今の若い人が「好きなことだけをして生きていきたい」って憧れで言っているなら、それは違うんじゃないかなあって思います。
そもそも僕自身「好きを仕事にしたい」って思いはまったくなく、ただ目の前の仕事を楽しんで熱狂してただけ。編集という仕事自体が好きか…と聞かれるとそういうわけじゃないし(笑)。
なのに、最近急に世間のスポットライトが当たって。「箕輪の時代だ」みたいなことを言われてびっくりしている感じなんですよ。
仕事は消去法で決めた。「好きを仕事に」なんて考えたこともない
好きなことで生きていきたいとか、好きを仕事にしようとか、20代の頃から思ったことはありませんでした。
そんなポジティブな軸じゃなくて、単純に「好きじゃないことは、続けられない」って思っていただけ。
特に学生時代なんてひどくて、普通にアルバイトを続けることすらできなかったんです。
例えば屋形船でバイトをしたことがあったんですけど、お客さんに「おい、ビール持ってこいよ!」って偉そうに言われたのが嫌で即辞めました。
もう接客業はやりたくないなと思って真冬の交通量調査のバイトを始めたけど、次はめちゃくちゃ寒いのが嫌で辞めました。どちらも1日で辞めちゃったんですよ。
結局長く続けられたのは、客がこないから一日中漫画が読み放題の漫画喫茶店員と、寝てるだけでまとまったお金が入る新薬の治験だけです(笑)。
バイトでもろくに仕事が続かないから、就活のときは「正しさや正確さ」「会社員としての振る舞い」みたいなものが評価軸の会社では、絶対に無理だと思いました。
そこで受けようと思ったのが、テレビ・出版・沖縄の会社。
テレビや出版なら、「面白い」かどうかで評価が決まるはず。僕みたいな人間でも、個性として居場所があるだろうし、面白いことをやれるならきっと社会人を続けられるだろうと。
それで、雑誌の編集者かバラエティ番組のプロデューサーを目指したんです。
もしそれがダメなら、大好きな沖縄で定時まで仕事して、終わったら海で泳げれば、そんな人生でもいいなと思っていました。
置かれた場所で咲けないやつは、好きなことでも開花しない
そんな軸で就活して双葉社に入社したわけですが、最初の配属は、編集ではなく雑誌の広告営業。
出版社の広告営業って、当時は「今までのお付き合いを粛々と保つ」みたいな仕事がほとんどで。取引のある広告代理店へメールしたり、先方に出向いてお茶したりして終わるのが普通だったんです。
でも僕は、それでは自分のいる意義が見い出せなかったし、つまらなかった。だから出版社の広告営業としては異例なんですけど、勝手に新規開拓をしていました。
雑居ビルに飛び込んで、がんがんテレアポして、5万円、10万円と新規のクライアントから受注をもらってくる。
そうするうちにだんだんと50万円、100万円、500万円と金額が上がって、最終的には与沢翼の雑誌『ネオヒルズジャパン』を作るからと3000万円受注するまでに至りました。
当時のモチベーションは、「好き」ではなく、「楽しい」でしたね。
自力で新規開拓して、ゼロからつくった仕事は楽しいんですよ。サバイバル力は身に付くし、編集長からは信頼される。
すごい金額の受注をすると、アドレナリンがガンガン出る。周りの先輩たちも良い人ばかりだったんで「みのくん、すごいね!」なんて褒めてもらえたり(笑)。
今だから言えることですけど、やっぱり最初は与えられた仕事で全力を尽くすことも大事ですよね。
これは一般的な仕事論と一緒で、最初から「この仕事、好きじゃないんですよね」なんて言っていてはダメ。
入社5年目に編集部に異動して、見城(徹)さんの書籍『たった一人の熱狂』を作ったことをきっかけに幻冬舎へ移籍しましたが、僕自身、もし広告営業で頑張れていなかったら、編集者になっても頑張れなかった気がします。
広告営業で培った力とか実績、人脈が今も確実に役立っていると思うんですよね。
最近CDアルバムを出したのも、広告営業時代にクライアントだったレコード会社の人からのオファーですし、どんな仕事でもその瞬間を一生懸命に生きることが線になってつながっていくんじゃないかな。
「置かれた場所で咲けないやつは、好きなことでも開花しない」っていうのは真理だと思いますよ。
主語が「自分」になれば、仕事は一気に楽しくなる
結局、好きなことを仕事にしようが、そうでなかろうが、仕事の根幹はすべて一緒だと思うんです。
仕事とは「自分で企んで、自分で動かす」こと。こうして主語が「自分」になっているかどうかが重要で。
実は僕、就活を2回やっていて、最初は沖縄のリゾートホテルの「パラソルを刺す係」にしか内定が出なかったんです。
その会社は入社前にリーマンショックの影響で倒産してしまったけど、もしそのままパラソルを刺す係として働いていたとしても、その仕事を楽しんで、熱狂してたんじゃないかなって思うんです。
「ホテル王に、俺はなる!」とか宣言して、ホテルをチェーン展開していたかもしれません(笑)。
そういう話をしても、20代の子って自分だけの何かが欲しくて「好きなことが見つからなくて悩んでいます」とかって言うんですよ。でも、そんなの悩んだり迷ったりして当たり前。
好きなことなんて簡単に見つかるものじゃないし、見つかったと思っても本物かどうかも分からない。
そう考えると人生って「好きなことを見つけるため」にあるものなんじゃないかなと思うんです。だから20代のうちに慌てて見つけなくていいと思いますよ。
今は「好きなことバブル」が起きてるだけなんです。80年代のバブル時代に、皆お金を儲けようとして右往左往していたけれど、それと同じ。
第一、「好きなことをして生きろ」なんて言われているのは人類史上初めてなんだから、とことん悩んでいいし、迷子になったっていい。
20代は、好きなことを見つけることを一生のテーマとして、とにかく目の前の仕事を楽しくしていけばいいんだと思います。
〈取材・文=石川 香苗子/撮影=桑原美樹〉
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