仕事を楽しくするのは「不確実性と実現可能性のバランス」
“はたらくWell-being”のカギは、「自分らしく振る舞える場所」と「役に立っている実感」
新R25編集部
リモートワークの浸透などと相まって、「はたらき方改革」が世間の潮流となって久しい昨今。
現場ではたらくビジネスパーソンの中には、「本気で仕事に打ち込もうと思ったらはたらき方改革なんて無理」「自分らしいはたらき方なんて難しい」と感じている人もいるはず。
そこで、パーソルグループとのコラボでお送りする本連載「“はたらくWell-being”を考えよう」ではモヤモヤを感じているあなたへ「令和の新しいはたらき方」を提案していきます。
“はたらくWell-being”とは、はたらくことを通してその人自身が感じる幸せや満足感のこと。それを測るための3つの質問があります。
①あなたは、日々の仕事に喜びや楽しみを感じていますか?
②自分の仕事は、人々の生活をよりよくすることにつながっていると思いますか?
③自分の仕事や働き方は、多くの選択肢の中から、あなたが選べる状態ですか?
3つの質問すべてに「YES」と答えられる人は“はたらくWell-being”が高いと言えます。「はたらくWell-beingを考えよう」では、日々、充実感を持ってはたらく方々へのインタビューを通して、幸せにはたらくためのヒントを探します。
今回、お話をお伺いしたのは株式会社パパゲーノ 代表取締役田中康雅さんです。
田中さんは、大学在学時にメンタルヘルスに興味を持ち始め、ヘルスケア系の企業での勤務を経験し、2022年3月には「『生きててよかった』と誰もが実感できる社会」をパーパスにした株式会社パパゲーノを設立しました。2023年9月には、精神障害を持つ方向けの就労継続支援B型事業所をオープンしています。
障害を持つ方の就労支援に携わり、「はたらくこと」について向き合う機会の多い、田中さんだからこそたどり着いた“はたらくWell-being”にて、語っていただきました。
株式会社パパゲーノの代表取締役。慶應義塾大学環境情報学部卒業後、株式会社iCARE、株式会社エクサウィザーズにて、ヘルスケア×ITの分野で活躍。その他、個人での事業買収なども経験する。神奈川県立保健福祉大学大学院ヘルスイノベーション研究科にてメディアと自殺予防を学び、2022年3月にパパゲーノ創業。「『生きててよかった』と誰もが実感できる社会」の実現を目指している
「困難な状況でも生きる人の挑戦を応援したい」社名に込めた思い
市川
今日はパパゲーノさんの「就労継続支援B型」の事業所にお伺いしています。明るくて、和やかな雰囲気ですね!ここではたらいている方々は、どんなことをされているんですか?
田中さん
一般企業での直接雇用が難しい障害をお持ちの方が、就労に向けた一歩目のステップとして、ここでPCを使って仕事をしています。
例えば、企業の営業事務としてデータ入力業務をしたり、Canvaというツールを使ってデザインをしたり、ChatGPTを使ってライティングや記事の校閲をするなどの仕事内容がありますね。
市川
IT系のお仕事をされていらっしゃるんですね!
田中さん
そうなんです。障害や難病があることにより企業での就労が困難な人を対象として支援を行う「就労継続支援」というと、農業や軽作業などをする事業所が多いのが実情です。
しかし「就労継続支援」を受ける方々の中にはIT分野での仕事に就くことを望まれている方が多いと知り、企業と雇用計画を結ばずに、それぞれのペースにあわせて就労を支援する就労継続支援B型の事業所「パパゲーノ Work & Recovery」を作ると1年前に決めました。
「パパゲーノ Work & Recovery」は2023年9月にオープンしたばかりなんですよ!開始から3ヶ月で約70名から問い合わせをいただいて、体験利用・正式利用する方も増えてきています。
壁にかかっているのはパパゲーノさんが支援する精神疾患当事者の方のアート。
市川
オープンしたてなのに大盛況ですね!田中さんはもともと福祉やヘルスケア系のお仕事に興味があったんですか?
田中さん
大学時代の2つの経験から、メンタルヘルスの領域に興味を持つようになりました。
1つめは、僕自身がメンタルの不調を経験したことがあるんです。大学1〜2年生のころ、色々な要因が重なり不眠の症状に悩むようになり、気持ちもどんどん落ち込んでいきました。
田中さん
もう1つは、知人が自殺未遂をしたことです。身近な人だったので「なにか僕に出来ることがあったんじゃないか」と思い悩んだのですが、出来ることは何ひとつなく、自分の無力さを痛感しました。
そういった経験から「人はなぜ自殺願望を持つのだろう」「なぜ死にたいと思うくらい追い込まれてしまうのだろう」ということが気になり出し、大学で心理学やメンタルヘルス、自殺予防について学ぶようになりました。
市川
そのあとすぐ福祉やメンタルヘルス系のお仕事に携わるんですか?
田中さん
そうですね。ITとヘルスケアをかけあわせたスタートアップで勤務しながら、副業として個人で事業買収をして改善後に事業を譲渡するなどのはたらき方を経験しました。
市川
まずは「企業に属する」ということをひとつの軸にして仕事をされたんですね。
福祉やメンタルヘルスというと、カウンセラーなどを目指す道もありますよね?
田中さん
確かに、専門家になり、いちプレーヤーとして困っている方の支援をするという道もあります。
でも僕は、課題解決をする時に他者を巻き込んでプロジェクトを動かしていく役割が得意だと感じたので、より構造的な課題にアプローチして、新しい仕組みをチームで創る仕事をしていくことを決めました。
そう思ったのは、学生時代、約1600人が所属するNPOの本部でプロジェクトリーダーのような役割を担って仕事をしていた経験による影響が大きいと感じています。
市川
なるほど。得意な「チームではたらくこと」で、自身の社会への貢献度を最大化しようとしたんですね。どんなタイミングで起業を考えだしたんですか?
田中さん
会社員としてはたらいたり、事業を買収・売却したり、NPOではたらいてみたり、それぞれのはたらき方でやりきった自負が生まれたタイミングで、過去に経験したことのない“起業”にチャレンジすることにしました。
スタートアップで働きながら大学院に通い、自殺予防やメンタルヘルス分野にどのようなエビデンスがあるのかを知り、事業の効果を検証できるイメージがついたことも、起業を後押ししてくれたように思います。
また在籍したスタートアップでIPOを経験し、スタートアップが成長していく過程を目の当たりにできたことも起業を決断できた要因の1つです。
市川
「パパゲーノ」という社名にはどういう意味があるんですか?
田中さん
末木新さんの『自殺学入門』という本を読み、「パパゲーノ効果」について知ったことからこの名前をつけました。
「パパゲーノ」とは、オペラ『魔笛』の登場人物なんです。パパゲーノは最愛の人を失った失意から生きることに絶望しますが、物語の最後には、生きていくことを選択します。このエピソードをもとに、自殺を踏みとどまった人の体験談を伝えることが、他の方の突発的な行動を抑止できるのではないかという仮説に、トーマス・ニーダークロテンターラーさんが「パパゲーノ効果」と名付けました。
田中さん
現在、自殺に関して報道することは多くの人をつらい気持ちにしたり、模倣や後追いでの自殺を誘発する要因になりうると言われています。
そういった理由から、話題に出すことをタブーとする風潮もありますが、一方で、自殺を思いとどまった方や辛い境遇でも生きている人のエピソードを伝えることは、同じ悩みを抱える人にとって生きる希望をもたらす可能性があるのです。
困難な状況でも生きる人の挑戦を応援したり、そのような方の物語を広めていきたい思いで会社の名前にしました。
仕事を楽しくするのは「不確実性と実現可能性のバランス」
市川
事業所はオープンしたてということですが、事業所の立ち上げはいかがでしたか?
田中さん
就労継続支援B型の事業所運営に必要な「サービス管理責任者」の採用ができるのか、運営するために定められている条件を満たす物件を借りられるのかなど、不確実なことが多かったので本当に大変でした。同時に東京都への事業計画書の提出も必要で、最終的には100ページにもなるものを作りました。
それでも、東京都から確実に許認可を取れる保証はなく、確実にオープンできる目処が立たないのに、物件の初期費用の支払いなどの初期投資でどんどん資金が出ていきました。事業を興してから、2023年9月に東京都より就労継続支援B型の許認可を取れるまでの期間は1番不安が大きかったですね。
減っていく資金、けれど開業できるかどうかは不確実。すごく怖い。
市川
私だったら、つらくなって逃げ出したくなってしまう…。そういう時、田中さんはどういう心持ちで過ごすんですか?
田中さん
僕は、常に1〜5%位の確率で起こるワーストシナリオを頭の中に描いているんです。
起業で起こり得るワーストシナリオは「資金繰りがうまくいかなくて廃業する」とか「体を壊して倒れてしまう」などですね。そうなったらおそらく、僕個人に数百万から数千万円の借金が残ります。
でも、実際にそうなってしまったら、パパゲーノでの経験を買ってくれる企業に就職して、頑張って借金を返していけば、なんとか生きていけそうだなと思っているんですよね。
こうやってワーストシナリオを描いて、ひとつずつ冷静に対処する方法を考えています。
市川
(あっさりとすごい事を言っている!)ワーストシナリオにも対処法があるから「大丈夫」って思えてるってことですか?
田中さん
そうですね。もう一つのワーストシナリオは「体を壊して倒れてしまう」ことですが、もし体や心を病んで自分が倒れてしまっても、国の公的な保険もあるし、「まあ、それなら最悪なんとかなるな!」と思っています。
どうにかなるんだったら、自分にとっても社会的に意義のあることをしたいなと思っているので、チャレンジできているのかもしれません。
どんな状況でも冷静な田中さん。すごいなぁ。
市川
リスクを前にして、その冷静さを保てるのはすごい!
田中さん
自分が起業すると起業家の人に知り合う機会も増えるんですけれど、僕が話したワーストシナリオのような出来事が起きて、廃業して借金を返しながら生きている人もいます。
何も知らないと「廃業=借金=絶望」という考えになってしまいますが、廃業してもサラリーマンとして普通に生活している方を知っているので、「なんとかなる」と捉えられています。
起業というと名誉や富を持った成功者に憧れる人は多いですが、僕は「キラキラしたものになるんだ!」という欲がないから、そう思えるのかもしれません。
市川
見栄や欲が仕事の原動力になる人もいると思うんですが、田中さんはどんな時に仕事が楽しいって感じますか?
田中さん
他人からキラキラした人に見られることよりも、好きな人たちと一緒に、心から意義があると思える事業に挑戦できることのほうが幸せだし、充実しているなと感じます。
あと僕は、「不確実性と実現可能性のバランス」がちょうど取れている時に、楽しいと感じることが多いですね。「絶対にうまくいくかどうかは保証されていないけれど、なんだかうまくいく気がする」というラインが好きです(笑)。
田中さん
例えば今、AIを使い福祉施設の運営をより円滑化して、支援の質を高めるシステムの開発をしているんですが、自分たちで事業所を運営している分、現場の根深い問題を知り、本当のニーズがつかめている実感があります。
だから、ゆくゆくすごく良いものができあがりそうなんです。まだ未完成ですし、事業が成功するかどうかはわからないけれど、「なんだかうまくいきそう」という感覚が抱けているので、本当に楽しいです。
市川
まさに不確実性と実現可能性のほどよいバランス!
田中さん
また、就労継続支援B型事業所の運営を始めたことでたくさんの人達と触れ合う機会が増えました。初めて知ることや気づくことがあり、試行錯誤を重ねる楽しさも感じていますね。
例えば、事業所の作業デスクにはパーテーションがついている席とついていない席を設けています。パーテーションがついている方が仕事に集中できる利用者さんもいるし、ない方が集中できる利用者さんもいるので、2種類の席を用意して使い分けられるようにしているんですよ。
そして、この一人ひとり能力を発揮できる環境が違うという気づきから、はたらく環境を創ったり、チームで仕事をすることに対して、障害の有無はそこまで関係ないのではと考えるようになりました。
市川
どういうことですか?
田中さん
集中できる環境が一人ひとり違うように、得意なことと苦手なことも人それぞれですよね。
私たち、パパゲーノの社員の中でもプロジェクトリーダーという役割が得意な人もいれば、苦手な人もいます。そうした役割は得意な人がやればいいし、苦手な人は別のところで活躍できればいい。
苦手なことに配慮して、得意を発揮できるような「合理的配慮」は、障害の有無に関係なく必要なことだと気がつきました。
市川
なるほど。
田中さん
今の状況と未来の希望を調整しながら活躍できる環境を提供するのは、パパゲーノの社員に対しても利用者さんに対しても必要なことです。
そうした調整がうまく作用して、得意なことで自分の力を思う存分発揮している利用者さんの姿や、週に1度しか通えなかった方が週5日ここに来れるようになる姿を見ると心から嬉しく、意義ある活動をしているんだなと実感できます。
“はたらくWell-being”とは、ありのまま自分らしくいられる場所を持つこと
市川
田中さんは支援が必要な方々に対してはたらく場を提供していることから、きっと「はたらく」ことについてたくさん考えてこられたと思います。
そんな田中さんが考える「“はたらくWell-being”が達成されている状態」って、どんな状態だと思いますか?
田中さん
“自殺を考えている状態”と“はたらくWell-beingが達成されている状態”って、真逆だと思うんですよね。
自殺の危険因子は「孤独を感じること」と「自分が他者のお荷物になっている」という感覚なんです。つまり“はたらくWell-beingが達成されている状態”というのは、その真逆で、「自分らしく振る舞えるコミュニティに属していること」、「自分が他者の役に立ち、感謝される」という状況だと思います。
パパゲーノの事業を通じて関わる全ての人には、この“はたらくWell-beingが達成されている状態”を感じてほしいですね。
市川
“はたらくWell-being”を実現するために、ほかにも重要だと思うことがあれば教えてください。
田中さん
いちばん大切なのは、「自分で決めたという感覚を持てるかどうか」です。福祉の世界でいうと、当事者の方はどうしても「支援を受ける側」という感覚が強くて、自分の主張や意見を述べることが難しいと感じてしまう方が多いのです。やってみたいことがあっても、障害を理由に諦めてしまう人も多いんですよ。それはもったいないですよね。
諦めずにやりたいことを自分の心に問い、小さなことでもいいから自分で決断してやってみるということを繰り返してほしいと思っていますし、僕もそうするように心がけています。
市川
自己決定が重要ということでしたが、私は自分でなにかを決めた時もうまく行かないと他責にしてしまいがちです。田中さんはそうならないですか?
田中さん
…ならないですね。
自分が変えられることにだけフォーカスして、自分にとっての課題に集中します。それ以外のことは、寝て忘れますね。
「アドラー心理学を解き明かしている本、『嫌われる勇気』が好きなんです」
市川
元々そういう考えだったんですか?
田中さん
うーん…後天的にできるようになったんだと思います。
大学時代は「チームで求められるKPIを達成できなかったら、自分には存在意義がない」と思い込んでいました。その強迫観念でめっちゃ頑張るタイプでしたが、そのせいで何度か体調を壊したので、ちょうどいいバランスを取れるようにしてきたんだと思います。
市川
ほぉ。
田中さん
体調を崩してNPOの活動を半年くらい休んだこともあり、「全然、他者貢献できていないな…」と落ち込みました。
でも、友達は休む前と何も変わらず接してくれたんですよね。そのおかげで「成果を出せなくたって自分はそこにいていいし、生きていけるな」と思えるようになったんです。
「他者貢献できなくても、身近な人への感謝の気持を持てていれば、生きていけるなって思えたんです」
市川
きっとその瞬間に「ただただ、自分はそこにいていい」って自己肯定できたんですね。パパゲーノさんに「『生きててよかった』と誰もが実感できる社会」というパーパスが生まれた理由が、なんとなく見えた気がします。
田中さん
今後は、就労継続支援B型の事業所を運営しつつ、AIを活用して障害を持った方への福祉支援の質を高める事を考えていきたいと思います。具体的には、音声解析AIで支援記録を管理する「AI支援さん」というアプリを開発して、他の施設に広げていきたいです。
加えて、AIや新しい技術を活用することで、障害をお持ちの方が自分らしい挑戦をしていく、多様な事例を作っていきたいです。そうした取組みを通して「『生きててよかった』と誰もが実感できる社会」を実現していきます。
〈取材・文=市川みさき〉
「“はたらくWell-being”を考えよう」
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