ビジネスパーソンインタビュー

変化し続ける社会の中で、90年間変わらない「銭湯」の価値を再構築

目印となる北極星は、ここにある

変化し続ける社会の中で、90年間変わらない「銭湯」の価値を再構築

新R25編集部

連載

「“はたらくWell-being”を考えよう」

Sponsored by パーソルホールディングス株式会社

2023/11/17

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リモートワークの浸透などと相まって、「はたらき方改革」が世間の潮流となって久しい昨今。

現場ではたらくビジネスパーソンの中には、「本気で仕事に打ち込もうと思ったらはたらき方改革なんて無理」「自分らしいはたらき方なんて難しい」と感じている人もいるはず。

そこで、パーソルグループとのコラボでお送りする本連載“はたらくWell-being”を考えようではモヤモヤを感じているあなたへ「令和の新しいはたらき方」を提案していきます。

“はたらくWell-being”とは、はたらくことを通してその人自身が感じる幸せや満足感のこと。それを測るための3つの質問があります。

①あなたは、日々の仕事に喜びや楽しみを感じていますか?

②自分の仕事は、人々の生活をよりよくすることにつながっていると思いますか?

③自分の仕事や働き方は、多くの選択肢の中から、あなたが選べる状態ですか?

3つの質問すべてに「YES」と答えられる人は“はたらくWell-being”が高いと言えます。「“はたらくWell-being”を考えよう」では、日々、充実感を持ってはたらく方々へのインタビューを通して、幸せにはたらくためのヒントを探します。

今回、紹介するのは、今年で創業90年を迎える高円寺の人気銭湯「小杉湯」の3代目湯守、平松 佑介さん。2016年10月、平松さんが36歳のときに2代目であるお父様から家業を継承しました。継承して7年、「小杉湯を続けることが自分の使命」と語る平松さんに“はたらくWell-being”を実現するコツを聞きました。

1980年、東京生まれ。昭和8年に創業し、国登録有形文化財に指定された老舗銭湯「小杉湯」の三代目。空き家アパートを活用した「銭湯ぐらし」、オンラインサロン「銭湯再興プロジェクト」など、銭湯を基点にした繋がり、また、さまざまな企業や団体とコラボレーションした独自の企画を生み出している。2020年3月に『小杉湯となり』、2024年4月には『小杉湯原宿(仮称)』を開業予定。モットーは、きれいで、清潔で、きもちのいいお風呂を沸かすこと

生まれたときから小杉湯の3代目。僕が見ていた半径500mの原風景

ーー(編集部)まさか、銭湯の中で取材させていただけるとは思いませんでした!

取材にあわせて「昭和八年 創業 高円寺 小杉湯」と書かれた法被を着てくださるサービス精神溢れる平松さん

平松さん

あはは、そうですよね。ここのほうが銭湯らしさが伝わるかなと思って(笑)。

土日祝日は朝8時から営業しているんですけど、平日は15時30分からなので、営業前に撮影場所として使っていただくこともありますし、こうして取材の場にすることも多いんです。

ーー(編集部)銭湯らしさ、確かに感じます(笑)。小杉湯は、昔ながらの銭湯という感じですね。

平松さん

法被にも書いてありますが、小杉湯は昭和8年に創業し、今年で創業90年

新潟から出てきた僕の祖父母が、小杉湯を買い取ったことから家業が始まったんですよ。

ーー(編集部)あれ、“ 平松湯 ” ではないのですか?

平松さん

そう思いますよね(笑)。

もとの持ち主が小山さんという方で、「小山さんが杉並区で運営する銭湯」なので“小杉湯”と名付けたそうで。

祖父母は名前を変えなかったので、“小杉湯”のまま運営し続けています。

小杉湯は「交互浴の聖地」とも呼ばれています

ーー(編集部)平松さんは、いつから家業を継ぐことを意識されていましたか?

平松さん

それはもう、生まれたときからですね。

意識するというよりも、幼い頃から毎日お風呂は小杉湯を使っていましたし、自宅も小杉湯のとなり。

生活も、住まいも、すべて半径500m圏内なので、もはや暮らしの一部です。

ーー(編集部)毎日のルーチンの一部だったと。

平松さん

アイデンティティでもあると思うので、恐らく今日も、僕の話でありながら小杉湯の話ばかりになってしまうかもしれません(笑)。

ーー(編集部)幼い頃から、小杉湯が平松さんの中に入り込んでいますね。

平松さん

地域の方々と一緒にお風呂に入って、父は番台、母はお客様と何気ない会話をしている。僕にとっては、それが当たり前で、日常の風景でした。

当時から小杉湯にいればお客様から「よ!3代目!」と声をかけられることも日常茶飯事(笑)。

幼いながらも小杉湯は地域の方から愛されていると感じていましたし、両親も楽しそうにはたらいていたので、自然と「いつか自分も父のようになるのだろうな」と思っていました。

平松さん

ですが同時に、僕が生まれた1980年代は家風呂率が高まっていて、銭湯は斜陽産業と言われていました。

周囲からも「銭湯は大変だよね」と声を掛けられることが多かったです。悪気なく「高円寺なら、壊してマンションにすれば一生遊んで暮らせるよね」と言われたこともありますしね。

ーー(編集部)年々銭湯の数は減っていると聞きますし、斜陽産業との印象はあります。

平松さん

恐らく、僕に声をかけてくれた方々もそう思われていたのだと思います。経営状況だけでいえば、正直苦しいと言わざるを得ません。

ただ、僕が子どものころから見ていた風景を、僕の代で終わらせることはまったく考えられなかったですね。祖父と父が繋げてきたタスキを僕が受け取り、次の代に継承すること、それが今の僕の使命だと思っています。

「家業を継ぐ」というキャリア選択。覚悟するまでに、36年かかった

ーー(編集部)今だからお伺いするのですが、継ぐことへの葛藤はなかったんですか?

平松さん

もちろんありましたよ! 特に10代の頃は、もう心が折れちゃってましたね。

「心が折れちゃってましたか」「折れちゃってました」

平松さん

だって、僕の将来は決まっちゃってるじゃないですか。

周りが「進路どうしよう」「勉強どうしよう」と悩んでいても、僕は銭湯を継ぐ道しかない。勉強しても無駄だよなと、全然身が入らなかったです。

ーー(編集部)何をやっても、結局行き着く先は銭湯になってしまう。

平松さん

そうなんです。だけど、それでもなんとか大学へ進学し、周りが就活をし始めた頃に、改めて自分の将来のことを考えました。

継ぐことに変わりはないのですが、父がまだ現役ではたらいている年齢だったこともあり、「仕事の仕組みを知らないまま継ぐのはどうなんだろう」との思いから、まずは社会に出て経験を積むことに決めました。

……なんてカッコいいことを言っていますが、本当は、小杉湯を継いでしまったら自分が社会から取り残されてしまうかもしれないという不安のほうが大きかったんだと思います。

ーー(編集部)社会から取り残されてしまう?

平松さん

先ほどもお話したように、家も仕事も、生活範囲がたったの半径500m以内になってしまう。周りの顔ぶれがそれほど変わることもないので、社会が狭まり、新しい出会いもなく孤独を感じるんじゃないかと思っていました。

だから、自分の社会が狭まってしまう前に、たくさんの繋がりを作っておきたいと考えたんですよね。

平松さん

父の年齢も考え、30代前半で継ぐことを考えると、社会人としてのリミットは約10年。この10年をいかに密度濃く過ごせるか。

だから短期間で大きな成果を得るには、大きなものを売るほうが早いと思って、新卒でB to Cの住宅・不動産営業を選びました。

ーー(編集部)当時の平松さんにとっては、定年が30歳ってことですよね。めちゃくちゃ短い。

平松さん

ほんとそうなんですよ。なので今振り返れば、20代の僕はずっと焦っていたと思います。

とにかく成果を出したい、経験を積みたいと思っていたので、成果や周りからの評価をいつも気にしていました。

ただ、おかげで4年目には全国トップになれました。

ーー(編集部)おお!すごいです!

平松さん

そして、いよいよ30代が近づいてきたとき、「まだまだ社会で挑戦がしたい。B to Cを経験したから、B to Bもチャレンジがしたい」との思いが強く沸いたことから、転職を決意。

ただ、「辞めることを前提に数年入社させてください」は、企業側も受け入れ難かったようで、転職は難航しました。

そんなときに出会った知人が、 B to B の会社を立ち上げるからと創業メンバーとして誘ってもらい、挑戦することを決めました。

人材系のベンチャーの立ち上げを経験し、人材開発の知識も得たそう

平松さん

B to B領域の経験も積めましたし、何より立ち上げから関わったことでどうしたら継続的に事業を成り立たせられるのかも、とても勉強になりました。

想定していた定年より6年オーバーして、36歳のとき、自信と覚悟がついたことで父から小杉湯を継承したんです。

ーー(編集部)ここにきて失礼かもしれないのですが、「継がない」という選択肢は……?

平松さん

不思議なことに、やっぱりその選択肢はなかったですね。

家業がない方からすると難しい感覚かもしれませんが、生まれたときから僕の大前提には、いつも小杉湯があるんです。

銭湯は社会に必要か? 銭湯の存在意義を見直したら、自分の社会が広がった

ーー(編集部)継がれてからは、どのようなはたらき方をしていたのでしょうか?

平松さん

最初の数年は、日中に経営的な仕事をして、深夜帯に番台に立っていました。

継いですぐのとき、僕の中の大きな問いとして「銭湯は社会に必要なのか?」「この事業は続けられるのか?」「続けるためにはどうしたらいいのか?」をひたすら考え続けていましたね。

ーー(編集部)昼から夜まではたらきづめですね。

平松さん

継ぐ前から公衆浴場業は難しい仕事だと思っていましたし、「大変だね」と言われすぎたせいで、とにかく危機感が強かったんです。

さらに、ベンチャー時代に、どんなに優秀な経営者であっても会社が立ち行かなくなってしまう場面に遭遇したことも少なくありませんでした。

事業を続ける大変さを身に染みて感じていて、祖父や父が経営していた頃とは時代も変わり、「これまでのやり方ではだめだろうな」と。

ーー(編集部)どのように活路を見い出していったのでしょうか。

平松さん

それまでの出会いも含めて、まずはいろんな人に、どうすれば続けていけるのか、どうすれば社会から求められるのかを相談しました。

その中で、番台に立っていると小杉湯には意外と若い世代のお客様が多いことにも気づかされました。

何気なく相談してみると、たくさんの人から「小杉湯のためなら」と協力してくれる人が増えたんです。

小杉湯の隣にあった解体予定のアパートを活用したプロジェクト(2017年)

ーー(編集部)お客様たちが、小杉湯をつくる側に回ったんですね。

平松さん

銭湯は顔をつき合わせた出会いが基本なので、徐々に仲間たちが増え、自分たちで少しずつイベントを企画したり、銭湯を起点にした新しいコラボレーションをしたりしていきました。

銭湯内で開催した音楽フェス

ーー(編集部)新しい仲間が増えて、顔ぶれがどんどん変化していってるじゃないですか!

平松さん

そうなんですよ! 銭湯を継ぐ前に感じていた、社会が狭まってしまうなんてことはなく、むしろ真逆。

小杉湯を継いだことで、企業に勤めていたとき以上に社会との繋がりを持てていたんです。

コロナ禍のときも、小杉湯に通ってくださっている学生のお客様が主体となり、新しい企画チームも生まれました。

銭湯にはまだまだ可能性があると感じ始めた矢先、多くの方から「小杉湯で救われた」と言ってもらえたことがあって。

ーー(編集部)平松さんの悩み解決に協力してもらっていたはずが、お相手も小杉湯に救われた?

平松さん

今の若い世代って、SNSが浸透しきっている社会で、どうしても自分と周りを比較してしまい、自己肯定ではなく、自己否定してしまう人が多くなっているなと感じています。

そんな自分の存在意義を見失いそうになっていたとき、小杉湯に来て「ここにいてもいいんだと思えた」と言ってもらえたんです。

銭湯だけに、心が暖まる話……!

平松さん

そう感じたきっかけとしては、おじいちゃんおばあちゃんが気持ちよさそうにお風呂に入っているのを見かけたり、ちょっと目が合って会釈をしたり、帰るときに番台で「おやすみなさい」と声をかけてもらえたりと、直接的なコミュニケーションではないけど、なんとなく人のつながりを感じられたからだと。

小杉湯ではそれらを、サイレントコミュニケーションと呼んでいます。

銭湯は多世代の人が、きれいで清潔で気持ちのいいお風呂に入るために訪れる場所なので、コミュニケーションが目的ではありません。

だけど、そのサイレントコミュニケーションが自己受容に繋がっていて、今の時代にもこんなふうに役に立つのかと気づかされました。

ーー(編集部)会話をしなくても、ゆるく自分の存在を認めてもらえるというか。

平松さん

まさにです。顔はわかるけど、名前も肩書きも職業もお互いに知らない。だけど、心地よくいられる。

ふつうのコミュニケーションであれば、名前や肩書き、会社名などが先行してしまいますが、そういったラベルのない、ありのままの自分でいられる「銭湯」という場所が社会には必要なんだと確信しました。

小杉湯に紐づく人たちとともに進んでいく。辞めないことで得られるものが「はたらくWell-being」

ーー(編集部)改めて、平松さんの今後の目標をお伺いしてもいいですか?

平松さん

目標は最初からずっと変わらず、小杉湯を存在させ続けることです。

僕が継いでから1年経った2017年に株式会社小杉湯を設立したのですが、それも継続的に小杉湯を続けていくためのひとつの手段。

一般的な株式会社だと利益を求めて短期的な成果も必要かもしれませんが、小杉湯はそうではなく、50年後、100年後、この街に小杉湯があり続けることが一番の目標です。

平松さん

どこか遠くにある北極星を目指すのではなく、僕たちの北極星はもうすでにここにあります。

だからあとは、いかに愛情を込めて建物を大切にできるかとか、持続可能なビジネスモデルにできるかを、小杉湯が好きで集った仲間たちと日々試行錯誤中ですね。

ーー(編集部)北極星はここにある。すごく素敵な言葉です。

平松さん

僕が人を集めるというよりも、小杉湯という北極星に自然と人が集まってくるんですよね。

だから僕は、小杉湯を大切にしてくれる人たちからの提案は断らないようにしています。

ーー(編集部)平松さんと考え方が同じ方がここに集まると。

平松さん

そうなんです。

祖父がやっていたときのお客様が今でも小杉湯を訪れてきてくれたり、父のときにお客様だった人が、実は今僕と一緒にはたらいてくれていたり。ほんと、不思議な縁ですよね。

平松さん

日々、50年、100年という長いスパンで考えることが多いので、人付き合いも長い目で考えることが多くて。

今は繋がらなかったとしても、50年という時間の中だったらいつかは繋がる、また出会えるだろうなと。

小杉湯にいると世界は優しく繋がっているなと感じますね。

ーー(編集部)ちなみになんですけど、もしもの話として、小杉湯がなくなったとしたら、平松さんは何をしたいですか?

平松さん

小杉湯がなくなる、ですか。なくなる……。

「……。」

平松さん

ごめんなさい、ちょっと全然想像がつかないです(笑)。

この街から、そして僕の中からも小杉湯がなくなるということを、まったく考えたことがないですね。

今も、そしてこれからも、想像の中だったとしても、小杉湯はずっとあり続けるし、あり続けられるようにしたいという気持ちです。

修繕を続けて90年間存在し続けている小杉湯は、地域の方からすると、まるで神社仏閣のようだと思うんですけど、僕にとってもまさに神様みたいな存在です。

ーー(編集部)神様みたいな存在って、壮大ですね。最後に、平松さんの考える「はたらくWell-being」について教えてもらえますか。

平松さん

変わり続ける社会の中で、変わらない小杉湯を辞めずに続けること、かな。大変なこともあるし、ぶっちゃけ苦しいこともたくさんあります(笑)。

ただ、自分のルーツでもある小杉湯が社会に求められているなら、僕はその期待に応えていくだけ。

今も新しい仲間がどんどんできていますし、企業との繋がりも増え、僕の社会は広がり続けています。

僕に紐づいているようで、実は小杉湯に紐づいている人たちとともに、これからも進んでいきたい。辞めるという選択肢は、僕にはありません。

<取材・文=田邉 なつほ>

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