ビジネスパーソンインタビュー
あなたがハッピーに感じることは?
世界から声がかかる耳鼻咽喉科医・大村和弘流『“はたらくWell-being”』を実現するトレーニング
新R25編集部
リモートワークの浸透などと相まって、「はたらき方改革」が世間の潮流となって久しい昨今。現場ではたらくビジネスパーソンの中には、「本気で仕事に打ち込もうと思ったらはたらき方改革なんて無理」「自分らしいはたらき方なんて難しい」と感じている人もいるはずです。
そこで、パーソルグループ×新R25のコラボでお送りする本連載では、「はたらくWell-being(ウェルビーイング)を考えよう」と題し、「令和の新しいはたらき方」を応援するとともに、さまざまな人のはたらき方や価値観を通して、ビジネスパーソン一人ひとりが今もこれからも「幸せにはたらく」ための考え方のヒントを探していきます。
今回紹介するのは、東京慈恵会医科大学 耳鼻咽喉科の医師である大村和弘さん。鼻にできた腫瘍の内視鏡手術において、症例数・技術ともに「日本一」と称される医師です。
医師3年目で日本を飛び出し、東南アジアへの国際医療活動に従事。それをきっかけに日本一の耳鼻科医になることを決意し「類稀なる苦労を選んだ」結果、日本はもとより東南アジア、医療先進国であるアメリカ、さらには中東からも声がかかる技術を習得しました。
オリジナルの術式は15を超えた今も、現場で手技を磨き続けています。
また、「人生の切り開き方」をテーマとした講演も、小学生から大企業の役員クラスまで、幅広い年齢層から求められています。
なぜ、一人の耳鼻科医は世界中から声がかかるビジネスパーソンとなったのか? その軌跡をたどると、そこには「周りに流されない力強い決断」がありました。
1979年生まれ。内科医の父と薬剤師の母のもと、手に職をとの思いから医師を志す。医師3年目の時にジャパンハートの吉岡秀人氏と出会い、2年間ミャンマーでの国際医療活動に参加。現地での経験をもとに耳鼻咽喉科の専門医を目指すようになり、帰国後は開設から130年と日本で最も歴史のある東京慈恵会医科大学の耳鼻咽喉科に入局した。「鼻の手術で日本一になる」ことを掲げ、病院での臨床経験のほか積極的に国際学会や外部の専門講義に参加。世界トップクラスの医師たちの手術を見るために、世界各国へ自費で赴き、技術を磨くことに注力し続けてきた。自身が考案したオリジナルの術式は15個を超え、今や国内だけでなくアジア各国やアメリカ、中東などで医師たちに手術手技を伝えている
「あなたは必ず主人公です」自分の舞台をどう生きますか?
ーー(編集部)大村先生は、医師としてどのような1週間を過ごしているのですか?
大村さん
僕の仕事は耳鼻科医で、鼻の専門なんですね。
鼻の癌や腫瘍など、手術が必要な患者さんに特化して、内視鏡を用いた手術の治療をしています。
基本的には所属する東京慈恵会医科大学に勤務し、平日は12時間ほどかかる手術が週に2.3日あります。
ーー(編集部)12時間もの手術が、頻繁にあるんですね。
大村さん
はい。先週はカンボジアから手術の相談があったので、土曜日の夜に日本を出て日曜日の朝にカンボジアにつき12時間手術をして、帰ってきたのが月曜日の夜9時。
そのまま病院に行って当直をして、いつも通り平日もはたらきました。
ーー(編集部)ちなみに、お休みという概念は...?
大村さん
土曜日は講演会への登壇や学会が入っていることが多いので、基本的には日曜日を休みにしています。
ただ、「手術してほしい患者がいるから来てくれ」と呼ばれたら「わかった、手伝うよ」と、可能な限り世界中どこへでも行きますね。
世界から呼ばれる耳鼻科医。
ーー(編集部)第一線でのご活躍ですね。大村先生のようなキャリアがあれば、「教育」や「マネジメント」といった役割を求められそうな気もしますが、プレイヤーで居続けるのには理由があるんですか?
大村さん
はたらく上で絶対に欠かせない僕のコアは、「本当に困っている人たちの最後の受け皿になる」ことなんです。だから、手術に思いっきりフォーカスして現場に立っています。
さらに言うと、世の中から評価していただける技術を持っているから、「教えてください」という医師が集まってくれるわけで、学びたい熱意のある方々と過ごしていたら、結果教育にもなっていたという感じなんですよね。
ーー(編集部)手術し続けることを、選んでいるんですね。
大村さん
ある程度偉くなっていけば、医師としては教授になるとか病院長になるとか、開業するとか、地位や名誉を得られる選択肢も正直出てくるんですよ。
だけど、今の僕自身は、誰よりも上手に病気を治せる耳鼻科医でありたい。
技術を研ぎ澄ませていった先に、耳鼻科医がまだ誰も見ていない景色があるんじゃないかって、そっちにワクワクを感じているんです。
日本で行われた手術に、ネパール・インドネシア・タイ・フィリピンの医師達が見学に来ていたそう。
ーー(編集部)目標がすごく明確です。
大村さん
僕はそもそも、人生は舞台だと思っているんですね。
自分の舞台をどう描き、いかに詳細に描けるかによって、叶うか叶わないかが変わってくる。
ーー(編集部)人生は、舞台。
大村さん
そう。あなたはその舞台の主人公です、必ずね。主人公として、どんな舞台でどんな人生にしたいですか?
いざそんなふうに聞いてみると、パッと答えられる人は多くない。もったいないなと思ってしまって。
本来の性格や素質がどうとか、そんなものは誰もわからないんですよ。僕だって本当の自分について聞かれたら、正直わからない。
だけど、どういう風になりたいかだけは自分で作れる。もっと言えば「なりたい自分」は毎年変わってしまってもいいですしね。
ーー(編集部)自分を内省して見つけ出すのではなく、作るのですね。
大村さん
作って自分に言い聞かせる方が、確実だと思っています。
「周りの人たちとうまく何かをやっていきたい」という自分を描くのなら、そっちに寄せていけばいい。
ーー(編集部)「なりたい自分」……うーん。仰るように、パッと答えられないです。
大村さん
それを作れるようになるまで、トレーニングするんです。例えば、僕の手術では助手に入る若手に毎回「先週面白かったことは何かある?」と聞いています。
大抵最初は「特にありません」との返事なんですけど、聞き続けることで変化があって。「この間こういう話を聞いて、こう感じたんです」って、事象から自分が何を考えたかを伝えることが、上手になっていく。
僕は、その思考の延長線上に、「今自分は何にハッピーを感じるのか」があって、「どう生きていきたいのか」につながると思っているんですね。
先週楽しかったことを言えない人に対して、「人生、何が楽しいの?」って聞いても答えられるはずがない。だから、そこはトレーニングだと思って全員に聞いています。
もちろん自分自身にもよく問いかけているし、先輩方にも聞きますよ。
カンボジアにて、現地の医師と手術前にラーメンを。こういった雰囲気が、アジアでの活動の中で好きな瞬間の1つなのだそう。
自分の人生を自分で切り開くトレーニング
ーー(編集部)大村先生は、今どのような舞台を描いているんですか?
大村さん
今の僕は「世界一の外科医になる」というビジョンを描いています。
今もまさにそのビジョンを叶えるためには、どういう努力が必要かを逆算して行動しているところです。
ーー(編集部)「世界一」! すごく大きなビジョンですね。
大村さん
これまで積み重ねてきた経験から、僕はこのビジョンを描けるようになりました。なので最初のうちはまず、描くビジョンが大きすぎたり遠すぎたりしないことに気をつけてください。
詳細に描けることが大事とお話ししましたが、「今日・明日の努力に繋がるのか?」という視点が大切なんです。そのために僕のチームでは、年始に今年1年以内の目標と3年後の目標を両方立てています。それに対して、毎日努力できることを書き出すところまで、細分化します。
今日できる努力まで細分化…しまった、そこまで考えていませんでした…
大村さん
そうして努力を毎日続けられる人たちは、叶えていけるから、ビジョンがどんどん変化していくんですよ。
僕もいきなり「世界一の外科医になりたい」と描けたわけじゃなくて、最初は「目の前の患者さんを助けたい」というビジョンに向かっていたのですが、だんだんと描く世界が大きくなっていきました。
国際医療活動によって東南アジアに行ったり、アメリカへ手術手技を教えに行ったり、最近では講演の依頼があってイラクに行ったり、それらはすべて、目の前の患者さんと向き合って技術を磨く努力を続けた結果ですよね。
ーー(編集部)ビションを描いた後、一歩踏み出すことに躊躇いを感じてしまう時は、どうしたらいいですか?
大村さん
それも、トレーニングですよね。自分の人生を自分で切り開く方法って、誰も教えてくれないじゃないですか。
僕もそうだったけど、中高一貫校を出て大学で医学部に入って、臨床研修を2年間やるのは、医師になるというレールに乗っているだけ。学校や病院も自分で選んでいるようで、大体は成績を元に選んでいるだけだから、そこに強い理由は持っていないんですよ。
ーー(編集部)(選択だと思っていたことは、選択ではなかった...)
大村さん
自分で選択をすること、した選択に細かな理由付けをする力が、自分で人生を切り開くためには必要だと思っています。理由がないと、結局動き出せなかったという事態になることが多い気がします。
ーー(編集部)大村先生は、どのタイミングでできるようになったんですか?
大村さん
そうですね、レールから外れるトレーニングをしました。
ーー(編集部)またトレーニング!
大村さん
僕は医師になって3年目のタイミングで、発展途上国を中心に活動する医療ボランティア団体・ジャパンハートの活動でミャンマーに行ったんですね。
その経験が今のキャリアに大きく影響しているのですが、実は当時もう1つ、アメリカの医師を目指すという選択肢もあったんです。
ーー(編集部)アメリカで医師になる、それもすごい...!
大村さん
アメリカ海軍基地内にある横須賀海軍病院という非常に狭き門の病院があるんですけど、そこは日本にいながらアメリカの病院に勤務したという経歴を得られるので、そこではたらけたらアメリカで医師になる道をスムーズに目指せるという、登竜門みたいな場所です。
その2つに希望を出したことで、王道と呼ばれるレールからは外れたんですよね。
一般的には、病院に配属されて2年間の初期研修が終わったら次は後期研修に入って専門医になるという道をほぼ全員が選びます。
そのレールを外れたことでようやく「自分で人生を選択する」チャンスが来たんです。
ーー(編集部)人生を選択するチャンス。
大村さん
当然、周りからは「そんなことしてないで日本にいろよ」と大反対されました。最終的に両方受かってミャンマーを選んだのですが、それはそれで「その2択ならアメリカだろう」となって(笑)。
医師としてのキャリアを考えれば、多くの人はアメリカを選ぶと思うんですけど、自分がやりたいことはミャンマーだと、選びました。
みんなと同じレールに乗る中で、違う選択肢を持ってみる。それが、僕にとってのトレーニングになりました。
ーー(編集部)私だったら、大勢が進む方向に流されてしまいそうです...。
大村さん
1個1個、自分の頭で深く考えて、周りに流されない選択ができたことが、その後の僕の人生の強さに繋がっていくのだと思います。
ーー(編集部)どういうトレーニングをしたら、そういった力強い選択ができるんですか?
大村さん
まず、色んな人に会って「やりたいな」と感じる心を、探し続けるんです。
ミャンマーに行こうと思ったきっかけは、ジャパンハートの創設者である吉岡秀人氏の講演を聞きにいったことでした。スマートなはたらき方が推奨される時代に、「苦労しろ! 人よりも苦労したら、みんなが苦労してるときに笑えるんだ」と泥臭いことをとんでもない熱量で話していましたね。
当時の僕はそういう泥臭いことはなるべくしたくなくて、むしろ苦労しない方法を探していたのですが、同じ講演を聞いていた60代の大企業の理事の方が「吉岡先生にお会いして人生変わりました」と言っている場面に直面したんです。びっくりして。
ーー(編集部)人生の大先輩が、吉岡先生の「苦労しろ」という言葉に感銘を受けていたと。
大村さん
ここまで影響力のある言葉を使うこの人と、1〜2年一緒にはたらくのは楽しそうだなと思いました。
とはいえ、えいって行けるほど簡単なことじゃないし、帰ってきた後の就職の不安もありました。でも、当時は前例がほとんどなくて、ということは何とでもなるなと思いました。
前例がないことは、激しい結末にはならないことが多い。自分の実力さえついていれば、どうにかなると判断できました。
ーー(編集部)前例がないから行かない、ではなくて、行く決断ができたんですね。
大村さん
要は、一生そこではたらこうとは思っていないわけですよ。だから決断できた。アメリカ海軍病院も任期は1年間だったし、ミャンマーも1〜2年で、嫌だったら帰って来ればいいと思っていました。これは今でも思っていることですけど、最初から何十年も続ける覚悟なんてできるわけないし、合わないなら辞めたらいい。そこからまた描きなおせばいいんです。
そもそも、当時は楽しそうと思った時点でパッと体が動いてしまいそうだったので、あとは自分を説得する理由を探すだけでしたね。
その時に気をつけたのは、良い情報と悪い情報をバランスよく取ろうとしないことでした。
ーー(編集部)それはなぜですか?
大村さん
心が行きたいといっているわけだから、それを肯定する理由だけを探すんです。
背中を押してくれる理由が1つでも見つかれば「これでよかったんだ」と思ってしまう思考回路に、したのかもしれないですね。
周りの価値観に流されない決断の秘訣
ーー(編集部)新たなチャレンジに対して、周りから反対されて心が折れてしまうことはなかったですか?
大村さん
僕のチャレンジは、たいてい大反対されます(笑)。ミャンマーにいくと決意した時も、新たな術式を提案する時も。
「反対されるのが当たり前です」
大村さん
でも、批判的な意見はそもそも鵜呑みにしないようにしているんです。「君たちは、そう考えるんだね、僕には違う景色が見えているんだよ」と、俯瞰してみるイメージ。
たとえばミャンマー行きを決めた時、なぜ周りは反対するのかを考えました。なぜ日本に残った方がよくて、行くならアメリカがいいのか? そっちの方が早く教授になれるかもしれないとか、経歴がキラキラして見えるとか、そういう医師の本質とはちょっと違うところを見ているんだなと気がついたんです。
その時に「横を見ずして前を見ろ」という言葉が背中を押してくれて、「きちんと目の前の患者さんと向き合っていれば、どこの国にいたって自分の力はついてくるし、それでいいんだな」と思えた。本当にやりたいことをやろう、わくわくする方を選ぼうと決断できました。
前を見続けた結果、今見えている景色が生まれた。
ーー(編集部)素敵な言葉ですね。
大村さん
青木眞先生という、アメリカの医師免許も持ってらっしゃる、日本の先生がたの抗生物質の使い方を根本から変えた先生から教わりました。
そうだ、決断ってずっと1人で考えていても絶対にできないんですよ。だから、やったことがある人に必ず聞いていました。
例えばアメリカ留学をしようと思ったら、アメリカ留学したことある人しか、その先の世界って知らないじゃないですか。
ーー(編集部)確かに、そうですね。
大村さん
自分のチームにはキャリアに悩む若手もたくさんいますが、たとえば女性で外科医を目指したい子がいたら、「今、日本でロールモデルになりそうな女性の外科医に会いにいった?」と必ず聞きます。
ほとんどが、会いに行ってないんですよ。女性の外科医として成功している医師は、どういう世界観を持ってどう仕事をして、どういう生活感なのか。なぜ成功できているのかを見なきゃダメだよと、いつも伝えています。
これも、自分で人生を切り開くトレーニング。
しっかりと情報を調べる、直接会いに行く、そしてその上で自分が一番なびくところに行く。情報収集能力と、直接逢って感じることは本当に大事です。
3年前は見える景色も思考もまったく違う。誰もがその可能性を秘めている
大村先生のお話を聞いて、「何か一歩でも進みたい」そんなふうに思いました。
ーー(編集部)大村先生にとって、はたらくWell-beingとは、どういう状態ですか?
大村さん
僕は医師なので、そもそも患者さんがすごく困っている状況からスタートなんですよね。
少しでも笑顔の時間を増やせるように何とか対応策を見つけて、船で言えば、嵐で転覆しかかってるところを「こっちだよ、こっちだよ」と導きながら、ちょっと静かなところまで連れていく、そんな役割なんです。
そういった仕事の中で、自分が育っていく感覚が、楽しいですよね。
手術がうまくなったり、説明が上手になったり、毎日自分が高まっていく。そうすると、今まで笑顔にできなかった患者さんたちを、笑顔にできる機会が増えていくんです。
自分が高まれば高まるほど、見られる笑顔の種類も変わっていって、見せられる世界も変わっていく。最高に楽しいですね。
ーー(編集部)ずっと、変わり続ける。
大村さん
3年前とは、見えている景色も考えていることも、まったく違いますからね。
ーー(編集部)そう思うと、誰もが変化していく可能性を持っていそうですね。
大村さん
もちろん! その可能性は絶対に秘めています。
医師に限らず、すべての仕事に「技術」はあるはず。慣れて、できることが増えていくタイミングで、「さらに何ができるだろう?」を考え続けていけば、技術を磨くことに終わりはありません。
たとえば掃除を仕事にしている人だって、スピードが早くなったら範囲を広くしたり、挨拶のカードを置くなどの新しいエッセンスを加えてもいいわけじゃないですか。そのチャレンジに関しては、人がとやかくいうことじゃない。もし何か言われたら、「あなたはそう思うのね、私には違う景色が見える」と、思っていればいいんです。
やったことによって何か良い世界がありそうだと自分が信じられたら、チャレンジしてやり続ければいい。そうすると、3年後には絶対に違う景色が見えてくる。
周りと比較する必要は一切なくて、自分が自分の技術を突き詰めてさえいけば、自分にしか見えない景色は100%見られるようになりますから。
2023/10/18に初となる自著発売!
<取材・文=飯室 佐世子>
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