ビジネスパーソンインタビュー
「それでも俺は、喋らなかったんですけど」
登校拒否、バイク事故、『すべらない話』奇跡の3連チャン。千原ジュニアが“暗黒”を抜けた瞬間
新R25編集部
毎月新R25の “表紙”を飾る、「つきヌケ企画」。
若手時代のモヤモヤを乗り越えブレイクのきっかけをつかんだ方々に、「つきぬけた瞬間~ブレイクスルーポイント~」と題し、モヤモヤ期から抜け出した瞬間のお話をお聞きします!
5月号、表紙を飾っていただくのは千原ジュニアさん。
本日公開の前編記事ではジュニアさんが“長い暗黒時代”を経て大きくつきぬけたきっかけをうかがっています。
そのきっかけとは、あの人気番組。「くすぶっていた」というジュニアさんの身に起きた、ドラマのような“ブレイクスルー”を、お楽しみください…!
〈聞き手=サノトモキ〉
【千原ジュニア(ちはら・じゅにあ)】1974年生まれ。89年に実兄・せいじとお笑いコンビ「千原兄弟」を結成。主な著書に『14歳』(幻冬舎)、『大J林』(扶桑社)、『すなわち、便所は宇宙である』『とはいえ、便所は宇宙である』『あながち、便所が宇宙である』など多数
サノ
今回はジュニアさんがモヤモヤを突破して、“人生ここでつきぬけた”と思う瞬間についてお伺いしたいと思っています。
まずは…若手のころ結果が出なかった「暗黒期」ってあるんですか?
ジュニアさん
22歳で東京に進出してから25、26歳までが、一番しんどい時期でしたね。
東京と大阪のテレビって全然違って、まったく評価されない。
『ザテレビジョン』のバラエティ番組に全部マルつけて録画して、勉強のために片っ端から観てましたね。
ジュニアさんにもそんな時代が
サノ
そこから大きく「ブレイク」のきっかけになったのは、ずばり何なんでしょうか?
ジュニアさん
今思うと、“ここが僕の転機だったんじゃないか”と言えるのは…
「松本人志さん」、「すべらない話」。
コレでしょうねえ。
ディレクターに「本番スベられたらたまらん」と言われても…自分の意志を貫いた『すべらない話』
ジュニアさん
当時僕は、上京してきたはいいけどくすぶってた状況で。
そこで松本さんが「こんなんが番組になったらええなあ」と立ち上げた『人志松本のすべらない話』に呼んでいただいたことが、僕の転機になっていくんですよね。
ジュニアさん
第1回の打ち合わせ…「名前を書いたサイコロ振って、出た芸人が話すことにしよう」みたいなところから話してた場に、僕ら芸人もいて。
そこで、初めてお会いしたディレクターさんに「本番、どんなこと喋るつもり?」と聞かれたんですよ。
みんな順番にディレクターの前で喋っていったんですけど…僕、そこで話さなかったんです。
サノ
え…!? どうしてですか?
ジュニアさん
俺ら大阪から来てる人間は、フリートークのネタを事前に明かして、本番でもう1回同じこと喋るっていう感覚がない。
「すべらない話」も1発目は深夜の深~い時間にやってたんで、お客さんなんて入れてなくて、いるのは芸人とスタッフだけ。
「本番で初めて喋らんと、ウケるもんもウケなくなる」と思って、俺は一切喋らなかったんです。
サノ
ほ、ほう…!
ジュニアさん
生意気やったんでしょうねえ。
向こうも、「スベるんやったら今ここでスベっといてもらわんと」「本番スベられたらたまったもんちゃうからな」みたいに言ってはって。
誰に言うでもなく遠回しにでしたけど、「ああ、俺に言うてはるねんな」と。
サノ
ひええ…
ジュニアさん
でも、それでも俺は喋らなかったんですけど。
さすが元「ジャック・ナイフ」の異名を持つ男。当時はめちゃくちゃ尖っておられたようだ…
ジュニアさん
それで、そのまま本番。
偶然ですよ?
「千原」、「千原」、「千原」。
松本さんがサイコロを振って、僕の名前が3連チャンで出た。
サノ
ひ、ひええ…!(2回目)
ジュニアさん
そこで「うちに残念な兄がいまして…」っていう始まりで、せいじの話を3連チャンでしたとき。
あれが、今思うとつきぬけた瞬間なのかなと思いますね。
…ドラマか?
サノ
その瞬間って、どんな手応えがあるんですか…?
ジュニアさん
現場では、何も手応えとかないもんですよ。
そこにいるのは、人の話聞く余裕なんてない芸人たちと、緊張感でピリついたスタッフだけ。「3回連続で来たでえ…」だけです(笑)。
ただ、僕をまったく信用していなかったはずのディレクターさんが、収録後に「あの3連チャンおもろかったなあ!」と言ってくれて。
サノ
(なにこのエピソード…かっこよすぎんか…)
ジュニアさん
それがえらい手の平返しで。「あっそうなんや、ちょっと評価変えられたか」って思ったんですよね。
そこから、本当にいろんなスタッフの人に知ってもらえるようになって、流れが変わった。それが30歳のときですね。
ジュニアさんの長い暗黒時代①「先生が僕の頭をボールペンで刺したんです」
サノ
30歳ぐらいまでは「くすぶってた」とのことですが…
暗黒期、気持ちがブレたりはしなかったんですか?
ジュニアさん
「やめる」という発想はなかったですね。やりつづけるしかなかった。
中卒なんで、僕。
ジュニアさん
僕は、「子どものときからお笑い大好き」「将来は芸人になりたい!」みたいなタイプの人間じゃないんですよ。
中高一貫の進学校に進学したんですけど、そこで理不尽に思うことがたくさんあって、学校に行くのをやめてたんですよね。
僕、登校拒否児だったんです。
サノ
理不尽…たとえばどんなことが?
ジュニアさん
僕、祖父に「鉛筆はナイフで削れ」と育てられまして。だから、鉛筆を削るために学校にナイフを持って行っていたんですよ。
そしたら先生に「いつかそれで人を傷つけたらどうするんだ」と。
サノ
ふむふむ。
ジュニアさん
僕は納得できなくて、「じゃあ、野球部の人たちがいつかバットで人殴ったらどうするんですか」と言い返したんです。
そうすると先生は少し黙ったあと、僕を殴って「屁理屈を言うな」と。
でも先生ある日、僕を叱るときに胸ポケットに入っていたボールペンで僕の頭を刺したんですよ。
えっ…
ジュニアさん
そういう理不尽な出来事とか、それを見て笑いながら通り過ぎていく人たちと同じになりたくないモヤモヤなんかが積み重なって、学校に行かなくなりました。
部屋にカギかけて引きこもるようになって。
サノ
そうだったんだ…
ジュニアさん
そんなとき、高校を卒業して家を出てた兄のせいじから電話があって。
「吉本に入ってんねんけど、相方おらへんからお前ちょっと来い。お前、学校いってへんやろ」と。
ジュニアさん
言われるがままに養成所に行くと、みんなネタを披露してる。それを観終わると、今度は「3日後にネタ見せがあるから、お前ネタ作ってこい」と。
そこで僕は、ボールペンで頭を刺してきたあの先生を題材にコントを作ったんですよね。
それが、ウケた。
サノ
はああ…!
ジュニアさん
だから僕は、他のことは何も知らないし、できない。
結果が出なくてもそこにしがみつくしかなかったんですよね。
ジュニアさん
でも、「中卒」だから努力できたっちゅうのはあります。
「中卒やから、もうこの世界しかない。何とかせなあかん」と思ったから、必死にお笑いを勉強した。
そうしたら、暗黒期になんとなく光が差してきて。仕事もちょいちょいもらえるようになって、レギュラー番組なんかも決まってきたりして。それが25、26歳かな。
サノ
おお!
ジュニアさん
それで兆しが見えてきたときに…
バイク事故が起きて、仕事がなくなってしまうんですね。
ジュニアさんの長い暗黒時代②バイク事故で「身体につながれた管を抜いて終わりにしようか」
ジュニアさん
2001年、27歳のときですかね。
タクシーと衝突しそうになって、避けたらそのまま電柱に突っ込んで意識不明になりました。
前頭骨骨折、鼻骨骨折、下顎骨骨折、頬骨骨折、上顎骨骨折、眼窩底骨骨折、眼窩内壁骨折などの重傷を負ったそう。とんでもない大事故だ…
ジュニアさん
さすがにもう、やめようと思いましたね。
顔の具合を考えると、もう表に出る仕事はできないやろうなと。
「放送作家とか、裏方になるしかないかな」。マネージャーともICU(集中治療室)でそういう話をしました。
サノ
…そこまでだったんですね。
ジュニアさん
いっそこのまま身体につながれた管を抜いて終わりにしようとも考えました。
でも、一命をとりとめて一般病棟に移ると…芸人たちが毎日のように見舞いに来てくれるんですよ。
東野幸治さん、板尾創路さん、今田耕司さん、月亭方正さん。みなさん本当に気を遣って…バイク雑誌を差し入れてくれたりね(笑)。
ジュニアさん
そうやっていろんな方に支えていただいて、僕は覚悟を決めて整形手術をしたんです。もう1回芸人として挑戦しようと。
顔が治っても仕事も生活費もないから、先輩たちにお金をいただいたり、ご飯に連れていってもらったりしてましたね。
そこでジム通いというか、お笑いのスパーリングをさせてもらうなかで、「お前話おもろいな」と言ってもらえるようになったりして。松本さんの『すべらない話』に呼んでいただいたのは、そんな流れからの話だったんです。
サノ
そこでようやく「暗黒時代」が終わり、つきぬけるチャンスがめぐってきたんですね…
なんと壮絶な…!
今回はここまで! 後編につづきます
長く壮絶な暗黒時代を抜けて、大きくつきぬけたジュニアさん。これほどの苦闘があったこと、知らなかった方も多いのではないでしょうか。
明日公開の後編のテーマは、「つきぬける人の共通点」。出てきた答えは「たとえ話」と「垂れない稲穂」。
前編以上に内容みっちりな後編にご期待ください!
〈取材・文=サノトモキ(@mlby_sns)/編集=天野俊吉(@amanop)/撮影=中澤真央(@_maonakazawa_)〉
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