手話ダンスでギネス達成、令和の虎で2回の完全ALL。「ダンスでは食えない」を覆した“はたらくWell-being”
連載「“はたらくWell-being”を考えよう」
新R25編集部
リモートワークの浸透などと相まって、「はたらき方改革」が世間の潮流となって久しい昨今。
現場ではたらくビジネスパーソンの中には、「本気で仕事に打ち込もうと思ったらはたらき方改革なんて無理」「自分らしいはたらき方なんて難しい」と感じている人もいるはず。
そこで、パーソルグループとのコラボでお送りする本連載「“はたらくWell-being”を考えよう」ではモヤモヤを感じているあなたへ「令和の新しいはたらき方」を提案していきます。
今回紹介するのは、株式会社ユーディフル代表取締役で、ストリートダンスに手話を取り入れた“UDダンス”創設者の北村仁さんです。
2010年より手話ダンスの活動をスタートし、福祉関係企業を経て2019年に独立。2023年には「ろう学生でもアルバイトに困らない環境をつくりたい」との考えから、人気YouTubeチャンネル「令和の虎」の『TigerFunding』企画に参加。ろう学生もはたらける手話カフェの事業計画をプレゼンし、見事完全ALL(希望金額全額の調達権利)を獲得、神奈川県平塚市に店舗をオープンしました。
2024年9月ギネスに挑戦
さらに、2024年9月には694人(会場動員1,000人)が手話ダンスのレッスンを同時に受け踊るという分野でギネス世界記録™を更新。「耳が聞こえる人も聞こえない人も自然につながる社会の実現」を目指してはたらく北村さん。そんな彼の“はたらくWell-being”とは。
1982年・神奈川県生まれ。ストリートダンスに手話を取り入れたUDダンスで、聴こえる聴こえない、障害の有無に関わらずエンターテイメントを楽しめるUDE(Universal Design for Entertainment)の社会環境を目指す。2010年から活動をスタート。株式会社LITALICOを経て2019年に独立。「手話×ダンス×療育」で世界をつなぐSDGsエンターテイナーとして全国的に活動中
やっているのは“村づくり”!? 困りごとを解決して可能性を広げていく仕事
飯室
北村さんのお仕事内容を聞かせてください!
北村さん
手話パフォーマンスが本筋ですね。僕は手話ダンスを“UD(ユニバーサルデザイン)ダンス”と名前を変えて活動していて、平塚と新宿のスクールでのUDダンスレッスンのほか、地方での出張レッスンや講演が主な活動です。
「令和の虎」に取り上げていただいた手話カフェの立ち上げやギネス挑戦は、UDダンスの生徒の困りごとがきっかけとなって、取り組み始めました。
僕の感覚としては、今の仕事はコミュニティづくりに近いです。UDダンスを中心に集まった人々が過ごしやすい村をつくっている感じ。
飯室
村をつくっている感じ!
北村さん
たとえば手話カフェは、ろう者の子の「アルバイト先を見つけるのに困っている」という悩みがきっかけとなってつくりました。
ギネス挑戦は、「将来プロダンサーになりたい」という子がきっかけで「“聞こえないダンサー”をみんなに知ってもらえたらいいよね」と思い「ギネス記録に挑戦してみよう!」と発案しています。
困っている人と出会ったときに、どうやって解決するかを考えて、活動が始まる流れが多いです。
神奈川県平塚市にある『Üd Cafe & Bar -te to te-』
飯室
困っている方と出会うことで、活動が広がっているんですか?
北村さん
そうですね。心からの困りごとを聞いたときに「やってみよう!」と思います。
というのも、誰か1人が心の底から悩んでいることって、実は同じような悩みを持つ人が多いと思っているんです。
まず僕らが1つ解決してみることで、それがロールモデルになり、結果的に僕らの手が届かない多くの人の助けにもなるのではと感じています。
自分の居場所を求めていた20代はバイトを転々。「ダンスでは食えない」を一転させたきっかけ
飯室
手話ダンスに出会ったのは27歳。それまでの20代は何をされていたんですか?
北村さん
19歳からダンスをはじめ、八百屋、カラオケ、カー用品店、新聞の営業、豆腐屋さん、野球チームのマスコット、あとはコーヒー屋さんとか、いろんなバイトを転々としましたね。
アルバイト経験が豊富すぎる。
飯室
当時は、どんな想いでお仕事をされていたんですか?
北村さん
……無です(笑)。基本的にはダンス活動がしやすい職場を選んでいて、いろんなことへの好奇心はあったけど芯はない、空っぽでしたね。10代20代は「自分は何者なんだろうな」と、ずっと居場所を求めていた感があります。
突然「釣りやるわ!」「俺、パズルのプロになるわ!」と言い出したり、「バイト先の社員になる!」と息巻いたりしたこともあったんですけど、どれも挫折しちゃって。
27歳のときには「ダンスも辞めよう」と思いました。
飯室
ダンスを辞めようと思っていた! それはなぜですか?
北村さん
単純に、お金が稼げなかったからです。
続けられないんですよ。先生としてレッスンを持ってもそれだけで生活はできなかったし、ゲストダンサーとして呼んでいただいても、当時のギャラは1ステージ4000円くらい。
「ダンスで食うってすごく難しいな」と思って、悩んでいた時期でした。ちょうど自分が教えていたダンススクールを整骨院が経営していたこともあって「柔道整復師を目指そう」と思い直して、願書を出そうとしてたんです。
そんなとき、地元のダンスチームから「手話ダンスでニューヨーク行かないか」って誘われたんです。即決で「行く!」って言いました。
飯室
日本でのダンス活動に限界を感じ、柔道整復師になろうと思ったタイミングで、連絡がきた。
なぜ、即決できたのでしょうか?
北村さん
「必要なんだよね、仁が」って言われて嬉しかったんです。
それに単純に「やっぱりダンスで成功したいっ!」という想いが残っていたからです。
飯室
「成功したい」。シンプルで素敵な欲求ですね。
北村さん
当時は誰かのために何かをしようなんてとても思ってなくて、自分がどれだけダンスで成功できるかが最重要でしたね。
飯室
手話ダンスに出会い、手話もそのタイミングで覚えられたんでしょうか。
北村さん
いえ、最初は振り付けとして覚えました。
意味を捉えて踊ろうとすると自分の頭が追いつかないから、ダンスとして捉えて、完コピして踊ったのが最初の手話ダンスです。
飯室
じゃあ日本に帰ってきてから勉強しようと思ったんですか?
北村さん
それがですね、学ぶ必要はあったのですが、僕は勉強が苦手なので、勉強はしないって決めたんです。
「勉強、嫌いなんです」
飯室
学ばなければならないのに、勉強をしない?
北村さん
ダンスを通じて、その過程で生まれるコミュニケーションのなかで手話を学んでいきました。当時、手話ダンスの振り付けはろう者の方と一緒に考えていたので、歌詞を手話に翻訳してもらうなかで、表現を覚えて。
最初は筆談を使ったり、50音の手話だけ覚えて「こ・れ・の・い・み・は?」みたいにやっていましたね。
「手話ダンスのプロなのに、そんな手話もわかんないのか!」ってめちゃくちゃ怒られました。
新しい手ごたえを感じた手話ダンス。「ありがとう」を増やしていくことが“はたらくWell-being”の条件
飯室
怒られもしながら学んで、手話ダンスは飽きたり諦めたりしなかったのでしょうか?
北村さん
なかったですね。楽しかったんですよ、手話で踊るのが。
飯室
それまでの「ダンス」と何が違ったのでしょう?
北村さん
2つあって、1つは周りの反応ですね。それまでは自分のために踊っていたけれど、手話ダンスを始めたら「踊ってくれてありがとう」と感謝されることが増え、びっくりしつつも嬉しかったです。
そしてもう1つは、ろう者のダンサーのパフォーマンスを見たときのエネルギーに圧倒されたことですね。同じ「ダンス」をする者同士ではあるけれど、「捉え方や楽しみ方が全然違う!」と思って。
北村さん
自分はそれまで、自分の成功を求めて踊っていたし、でも一方で「稼げない」とか「モテるけど、それだけだしな……」みたいなくだらない理由でダンスを辞めようと思っていたわけです。
でもあるとき、子どものろう者が集まるイベントで彼らのダンスを見たときに、あまりにもみんなが「踊りたい!」という純粋な気持ちで踊っていることが伝わってきて、すごく心が動いた自分がいて。
あの瞬間からろう者や手話ダンスへのリスペクトが芽生えたことで、「手話ダンスって楽しい!ずっと続けよう!」と強く感じるようになりました。
飯室
そこで、手話ダンスを仕事にしていこうと決めたんですね。
北村さん
踊ることで誰かに「ありがとう」と言われるって、最高じゃないですか。単純なんですけど「ありがとう」を増やしていけば自分の価値も上がる、と思っています。
そう考えると、手話ダンスは「これが自分の価値だ」と実感できる瞬間が多かったんですね。
飯室
「ありがとう」を増やしていけば自分の価値も上がる。
北村さん
あるとき、福井県でのパフォーマンスを見てくださったろう者の方からDMをいただいたことがありました。「音楽が好きでカラオケやライブに楽しく行っていたけど、医者から『もう耳が聞こえなくなる』と宣告され絶望した。でも北村さんのパフォーマンスを見たときに、音楽を諦めなくていいんだと思った」と。
あの言葉をもらったときに、自分の得意なことで「ありがとう」と感謝をされることが、大事なんだと気がつきました。
飯室
最後に、20年、30年先の未来に、どういう理想を描いていますか?
北村さん
手話をしていると「手話って素敵だね」ってよく言われるんですけど、そういう声をなくしていきたいです。
僕の仕事は、本当はいらないと思っているんですよ。
飯室
え! 北村さんの仕事、いらないんですか!?
北村さん
「共生社会実現」とよく言われていますよね。そういう環境まで持ってきたいと思っていて。
『ドラゴンボール』の世界が理想なんです。あの世界では“宇宙人”という設定の孫悟空やクリリン、豚のキャラクターが分け隔てなく喋っていますよね。そこがすごく良いと思うんです。
豚の人間がいたら「障害だ」っていうのが今の世界。でもそれさえも「そういう特性なんだね」とお互いが思えるようなことが理想です。
そして、エンターテイメントには違いや人の壁を緩和させる力があるんです。手話で踊ることで、人と会社、子どもと親、いろんな世界や人をつなげていける環境をつくることが目標ですね。
<取材=飯室佐世子・文=石野志帆>
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