

「このままでは、町は衰退するばかり…」地元企業が一丸となって挑む、カシマ再生の舞台裏
【連載インタビュー】カシマの変遷と「No.12」プロジェクトが生む新たな風
新R25編集部
茨城県鹿嶋市は、鹿島アントラーズのホームタウンとして知られるサッカーの聖地であり、地域の人々が一体となって支える活気ある町でもある。
この地に新たな賑わいを創出するプロジェクトとして、地域の魅力を発信する宿泊施設「No.12 Kashima Fan Zone(以下「No.12」)」が2025年3月にオープンを迎えた。
プロジェクトを推進するのは、ツキヒホールディングス株式会社と、鹿島アントラーズFC代表取締役社長を務める小泉文明氏率いる株式会社KX。「地方創生」×「スポーツ」×「リカバリー」をテーマに、スポーツを軸とした新しい地域の活性化モデルを打ち出し、ファンや地域住民が心から楽しめる場を提供することを目指している。
「人々の生活や建物の使いやすさを支える重要な仕事」
そう語るのは、地域に根ざした設備設計のスペシャリストであり、建築設備の設計・管理を行う会社の経営者として地域の発展に寄与する、株式会社鹿島コムカイの坂上さんだ。
鹿島アントラーズのクラブハウスや選手寮の改修工事をはじめ、多くの地元建築プロジェクトに携わってきた坂上さんは、今回、アントラーズのファンゾーン「No.12」のプロジェクトにも初期段階から参画。
今回、「No.12」のプロジェクトへの参画を通して、地域の未来に託す想いや、カシマの発展にかける情熱について語っていただいた。
生活を支え、未来を創る―カシマの設備設計プロフェッショナル


川島
株式会社鹿島コムカイさまの事業内容について教えていただけますか?

坂上さん
はい、弊社では設計から施工管理まで一貫して対応しています。
たとえば、建物の消火設備や給排水及び空調換気設備などの設計をCADで図面化して見積もりを作成し、それを下請けの職人さんに依頼して施工を進めます。
すべての施工管理で責任を持って行っており、設備設計や施工管理の専門知識を持つ技術者が社内にいることが、うちの強みです。

川島
そうなんですね。専門知識を持った技術者の確保が難しいとよく耳にしますが、実際はどのような状況なのでしょうか。

坂上さん
本当に難しいです。今は専門学校も少なくなっており、そのなかでも卒業できる人が限られています。
建築デザイナーや宮大工のように“かっこいい”イメージがないので、人気が出にくいんですよ。設備業界を目指す若者は少ないですね。
しかし4年生大学を出た後や30代で会社を辞めて設備の専門学校に入り直したりする人がいるくらい、確実に需要がある分野なんです。

川島
確かに建設業界、ひいては私たちの生活にも欠かせない仕事ですね。

坂上さん
そうなんです。設備設計者が不足しているため、大手ゼネコンからも設計から図面作成まで依頼されることがあります。建物を建設する際は、絶対に設備が絡みますから。
エアコン、水道、ガスなどの設備がなければ成り立たないくらい、需要があるんです。

川島
鹿島コムカイさまは、どのような経緯でカシマで事業を始められたのでしょうか?

坂上さん
実は、和歌山の住友金属工業の製鉄所に、設備業、エアコンや給排水などの設備管理をしている小向商会という会社がありまして。1970年ごろ、鹿島製鉄所が建設されることになったときに、小向商会の支店もカシマに設立されたんです。
そこに父や叔父が関わっていたため、家族でカシマへ移住しました。そこからは、住友金属(現在の日本製鉄)の設備の元請けとして、ずっと給排水やエアコンなど製鉄所の設備工事を引き受けています。

川島
そうだったんですね。鹿島製鉄所がきっかけで、カシマで設備関連の仕事を受けるようになったんですね。

坂上さん
はい。その後、住友金属(現在の日本製鉄)野球部や蹴球団の寮の建設にも関わることになりました。最初は野球部が1・2階、蹴球団が3・4階に入るかたちで寮がつくられて。
そしてJリーグが始まったときに、アントラーズの寮として改装しました。それからも、クラブハウスやグランドの設備工事もすべて父が担当しておりました。

川島
鹿島コムカイさまは、Jリーグが始まる前から鹿島アントラーズとも深い関係を築いてきたのですね。

坂上さん
そうですね。当時から「何かあったらすぐ駆けつける」というかたちで協力体制をとっておりました。

川島
その当時は、坂上さんもカシマにいらっしゃったんですか?

坂上さん
そのころ私は東京で同業種の別会社に勤めていました。
私自身は20年前に東京での仕事を終え、カシマに戻り、その後は、鹿島アントラーズ関連の仕事には全部関わってきました。
20年前に「戻るなら今しかない」と思い、カシマに戻りました


川島
坂上さんの生まれは和歌山でしょうか?

坂上さん
はい、私は和歌山生まれですが、小さいときにカシマに引っ越してきました。幼いころの記憶ですが、船でこちらに来たのは覚えています。
今みたいに主要な道路も整備されていない時代で、当時のカシマはとても田舎でした。

川島
その後、東京で修行されたと伺いましたが、どのような経緯で上京されたのでしょうか?

坂上さん
高校を卒業してすぐに上京しました。もともとは歴史学者になりたかったんですが、大学受験を検討した際、必修科目の英語だけがどうしても苦手だったんです(笑)。
そのため、歴史学者の道ではなく、最終的には専門学校で設備関連の技術を学ぶことに決めました。それが親の仕事にもつながっていたので自然な流れでしたね。その後、東京や神奈川で約15年ほど修行しました。

川島
東京での生活はいかがでしたか?

坂上さん
若いころは都会の生活に憧れていましたし、毎日が刺激的でした。ただ、仕事は非常にハードで、夜中の2時や3時まで働くことも珍しくありませんでした。
20代から30代前半は、そういう厳しい環境で経験を積みました。

川島
どのようなきっかけでカシマに戻られたのですか?

坂上さん
そうですね、30代半ばになって都会での生活にも疲れてしまって、父から「そろそろ戻ってきたらどうだ」と声をかけられたんです。
当時はちょうど別の会社からも声をかけられていて迷っていたんですが、「戻るなら今しかない」と思い、カシマに戻りました。それが20年前のことです。
参道にもっと人が集まる仕掛けが必要だと思います


川島
カシマの町について、坂上さんがこれまでご覧になってきた変化について教えていただけますか?

坂上さん
そうですね。私がカシマに来たころは鹿島神宮周辺やスタジアムの場所も本当に何もなく、道が途中で途切れているような状況でした。
町全体も工場が中心で、お店が少ない寂しい印象がありましたね。

川島
今の町並みからは想像もつかないですね。スタジアム周辺は、当時はどうだったんですか?

坂上さん
スタジアムの周辺は、Jリーグ及びワールドカップが開催されると決まるまでは、畑が広がっているだけでしたよ(笑)。
その後、スタジアムや道路が整備されて、人も来るようになりました。

川島
Jリーグやワールドカップの開催がきっかけで、道路も整備されて、人も来るようになったんですね。

坂上さん
そうなんです。ただ、今は人口も減少していて、日本製鉄の高炉の1基休止が決まっているなど、町の基盤となっている部分が弱くなっています。
鹿島アントラーズや鹿島神宮に頼っている部分もありますが、それだけでは十分ではないと感じてます。たとえば、鹿島神宮の参道ももっと活用すれば、町全体の魅力が上がるはずなんです。
鹿島神宮は格式のある場所なのに、少し参道の活気がないのがもったいないと思っています。

川島
確かに鹿島神宮は歴史も格式もありますが、周辺の街並みは少し寂しい印象がありますね。

坂上さん
そうなんです。もっと人が集まる仕掛けが必要だと思います。

川島
なるほど、町全体のつながりを意識した整備が必要ですね。
「滞在したくなる町」になってほしい


川島
今後カシマがどうなってほしいと考えていますか?

坂上さん
カシマや鹿行エリアが元気を取り戻すには、観光資源や地域の特色をもっと活かすことが大事だと思います。
鹿島神宮やサッカー観戦をきっかけに訪れた人が、そのまま帰らずに宿泊してもらうための施設や、町を歩いて楽しめる仕組みをつくるべきですね。
鹿島神宮やスタジアムだけではなく、地元の企業や住民が一緒になって、観光や町づくりに取り組む必要があります。

川島
坂上さんが仰るように、地元の一体感や長期的な視点が必要ですね。

坂上さん
そうですね。せっかくカシマには魅力的な場所があるのに、今のままではそのポテンシャルを活かしきれていません。
参道や商店街を賑やかにして、地域全体が連動するような仕組みをつくれば、もっと人を呼び込むことができると思います。
個人的には、カシマが「訪れるだけの町」ではなく、「滞在したくなる町」になってほしいですね。「No.12」もそのきっかけになればと思っています。
自分がまず「これは大丈夫だ」と信じて動くこと


川島
坂上さんが今回「No.12」プロジェクトに参画された理由を、ぜひ教えてください。

坂上さん
やっぱり「やるしかない」という思いでしたね。
カシマは人口もかなり減ってきていますし、サッカー観戦というコンテンツがなくなったら、残るのはゴルフ、パチンコ、釣りくらいじゃないですか。
だから、この地域の未来を支えるためにも、プロスポーツチームを核にした取り組みは必要だと確信しています。

川島
危機感を持っていたんですね。そのなかで、プロジェクトの初期段階から深く関わられたとか。

坂上さん
そうなんです。最初にツキヒホールディングス株式会社の代表である木村さんからこの話を聞いた際、カシマのために必要だと思っていたので、後日計画が動き出したとき、「やるしかない」と。
キムラさんや株式会社KXの皆さんの姿を見て、「この若い世代がやるなら、自分も手を挙げなきゃ」と決意しました。

川島
初期から積極的に動かれていたんですね。でも、プロジェクトを進めていくうえで、難しい部分もあったのではないですか?

坂上さん
自分がまず「これは大丈夫だ」と信じて動くことで、ほかの企業の方々も安心できるようにしました。
私が重視しているのは「地域のためになるかどうか」という部分です。
このプロジェクトを通じて、カシマの経済や人々の暮らしにどれだけ貢献できるか。それが最大のポイントでした。

川島
このプロジェクトはカシマだけでなく、鹿島アントラーズのファンや訪れる人たちにも価値を提供していますね。

坂上さん
そうなんです。せっかくアントラーズの試合を見に来る人たちがいるのに、試合後そのまま帰るだけではもったいない。
「No.12」のような施設があることで、泊まる場所や楽しめる場所を提供できます。さらに、鹿島神宮も近いですし、この町全体の魅力を高めるきっかけになればいいなと思っています。

川島
坂上さんのような方が、このプロジェクトの中核で動いてくださったおかげで、事業が大きく進んだんですね。

坂上さん
いや、僕が手を挙げたのは最初の一歩に過ぎません。地元の企業が一丸となって取り組んだからこそ実現できたことです。
でも、やっぱり最初に動く人がいないと始まらない。僕にできることがあれば、これからも全力でやるつもりです。
「カシマの魅力」を楽しんでいただきたい


川島
最後に、カシマや鹿行エリアにいらっしゃる方に向けて、何かメッセージをお願いできますか?

坂上さん
ぜひサッカーの試合を見ていただいて、泊まっていただきたいです。
鹿島神宮も近いですし、カシマのいい所がいっぱいありますので、カシマの魅力を存分に見ていただければいいなと願っています。
〈聞き手=川島(デジタルハリウッドSTUDIO by SAKURA 受講生)〉
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