「どうせ生きるなら、死ぬまで命を燃やしたい」あえて選択肢を狭めたから、見えたもの
新R25編集部
リモートワークの浸透などと相まって、「はたらき方改革」が世間の潮流となって久しい昨今。
現場ではたらくビジネスパーソンの中には、「本気で仕事に打ち込もうと思ったらはたらき方改革なんて無理」「自分らしいはたらき方なんて難しい」と感じている人もいるはず。
そこで、パーソルグループとのコラボでお送りする本連載「“はたらくWell-being”を考えよう」ではモヤモヤを感じているあなたへ「令和の新しいはたらき方」を提案していきます。
今回紹介するのは、稲とアガベ株式会社・岡住修兵さんです。
岡住さんは、2021年の秋に秋田県男鹿市でクラフトサケ醸造所を創業しました。「クラフトサケ」とは、日本酒の製造技術をベースとした新ジャンルのお酒のこと。現在は、「男鹿の風土を醸す」の経営理念のもと、クラフトサケの醸造や、レストラン・ラーメン店の運営、宿の運営などを行っています。
福岡県出身の岡住さんがなぜ、秋田県男鹿市でクラフトサケを醸造することにしたのか、キャリアを選択するうえで大切にしていることを聞きました。
1988年、福岡県北九州市出身。神戸大学経営学部を卒業後、秋田県・新政酒造で酒造りを学ぶ。その後東京都・木花之醸造所で初代醸造長を務める。2021年に秋田県男鹿市に「稲とアガベ醸造所」をオープン
「これ」と選択すれば悩みは減る
稲とアガベのオフィス
市川
稲とアガベの事業について教えてください。
岡住さん
秋田県男鹿市で「クラフトサケ」と呼ばれる新ジャンルのお酒の醸造をしています。
ほかにも「この街が失ったものを取り戻したい」という思いから、僕たちがお世話になっている男鹿の街にレストランやラーメン店、宿などを立ち上げて、経営も行っています。
市川
お酒の醸造から街づくりまで! ちなみに、「クラフトサケ」って初めて聞きました!
岡住さん
クラフトサケブリュワリー協会の定義では、クラフトサケは、日本酒の製造技術をベースにしてお米を原料にしつつ、フルーツやハーブなどの副原料を入れるなどして、法的には、従来の「日本酒」に当てはまらない方法でつくった酒のことを指します。
たとえば、社名と同じ「稲とアガベ」という酒は、米に、テキーラの原料でもあるアガベからつくられた「アガベシロップ」を加えた酒なんですよ。
市川
ええ! 面白い!
岡住さん
実は、現在日本では日本酒をつくるための免許の新規発行が、原則認められていないんです。ですが2020年に海外輸出向けであれば免許を発行できるようになったこともあり、現在は輸出用の日本酒と、日本酒とは少し違う扱いで製造が認められている「クラフトサケ」を国内向けにつくっています。
新規で免許が取得できないのは僕たちだけでなく、次世代にもつながる問題です。だから新規参入者でも日本酒造りにチャレンジできるよう、新規の免許の取得を目指しています。
市川
へぇ! 日本酒製造の免許にまつわる問題も、初めて知りました。岡住さんはもともと、お酒がお好きだったのですか?
岡住さん
お酒は飲んでいましたが、好きだから仕事にしたというわけではないんです。
好きなものを仕事にしてしまうと、価値観が変わって嫌いになったとき、前提がひっくり返っちゃうじゃないですか。
ただ、大学時代、ふと部屋に酒瓶が転がっているのを見て「日本酒業界に関わる仕事をしよう」と決めたんですよ。
市川
ええ!それだけで!?
岡住さん
僕にとっては、「何をするか」を決めてしまうことが大切だったんです。
市川
「決めてしまう」ことが大切だった…? どういうことですか?
岡住さん
僕は幼少期から「人はなんのために生きてるんだろう」「人生に意味はあるのだろうか」というようなことばかり考えて生きてきました。悩み多き学生時代で、まったく将来の夢もなくて…
神戸大学に通い出してからも、なかなか夢が持てず、一人暮らしの部屋で塞ぎ込んでしまい1〜2年生の頃に学校に通えなくなったんです。何かに向かって燃えたいのに、頑張る目標がない。頑張れない自分が嫌で、さらに鬱々としていました。
そんなあるとき、「このままの思想設計だと、目標も見つからずに、悩み続けて終えるんだろうな」と気がつきました。絶望しましたが、だからといって自ら命を絶つようなことは選択できなかった。ではどうすれば「悩まない人生」を歩めるんだろうと考えたときに、「悩むのは選択肢が多いから。じゃあ選択肢をなくせばいいんだ」とひらめいたんです。
市川
それで、部屋に転がる酒瓶を見て「日本酒業界に携わること」を決めたんですね。確かに、めちゃくちゃ理にかなっていますね。
岡住さん
正直、手段は何でもよくて。もう悩みたくなかったので、ほかの選択肢をそこで断ち切りましたね。
「人のため」なら頑張れる
岡住さんが発行するメルマガ『ふわふわタイム』の9月21日号。熱い!
市川
岡住さんが発行されているメルマガ『ふわふわタイム』の2024年9月21日号には「どうせ死ぬ、いつ死ぬかわからない、だからこそ死ぬその瞬間まで命を燃やせ!」と書いてありました。今とは違う学生時代だったんですね。
岡住さん
幼少期からの「人生に意味はあるのだろうか」という悩みは、「どうせ生きるならば、死ぬまで命を燃やしたい」という気持ちの裏返しだったと思うんですよね。
生まれて死んでいくことに、多分意味なんてない。どんな偉人だって、100年後には忘れ去られることがほとんどです。だからこそ、生きているうちに情熱を燃やせる何かが欲しかった。
市川
なるほど。
岡住さん
「じゃあ、自分はどんなときに情熱を燃やせるんだろう」と考えてみたら、人のために何かをしている瞬間だと気付いたんです。
自分のためには頑張れないけれど、人のためならちょっと頑張れる。そこで「どうせ死ぬから、利他であれ」という言葉を座右の銘にしたんです。
日本酒業界の雄、新政酒造へ
「稲とアガベ」での酒造の様子
市川
ビールやカクテルが好まれる今、日本酒の出荷量は年々減少傾向にありますよね。業界に対する心配はなかったですか?
岡住さん
経営学部に通っていたので、もちろんその傾向は認識していました。けれど経済的な成功を目指していたわけでもないし、特に心配はなかったですね。短期間を切り取ってみたら、盛衰のトレンドはありますけれど、それは刹那的なもの。斜陽産業であっても、歴史が長い業界は、きっとなくならないだろうと思ったんです。
それに同年代で酒造未経験の人が参入することもあまりないので、ライバルは少ないだろうと。大成功は難しいかもしれませんが、食べていくのに困ることはないだろうと思ったんですよね。
市川
ほお~。大学卒業後は、日本酒で有名な秋田県の「新政酒造」さんに入社されるんですよね。またなぜ新政酒造さんに入社することになったのですか?
岡住さん
神戸の居酒屋で新政酒造の酒を飲んで、「この蔵ではたらきたい」と言ったんです。
そうしたら、居酒屋の店主が「新政酒造で働きたいという人が来店した」とFacebookに書き込みをしてくださって。それを見た新政酒造の代表が「いいですよ」とコメントをくださって、卒業後に入社する運びになりました。
市川
すごいテンポで仕事が決まったんですね。そうして神戸から秋田へ移住して、大学生から酒造の道へ入ったと。何から何まで変化したと思うんですが、不安や抵抗はなかったですか?
岡住さん
全然なかったです。誰も知らないところに行き、生まれ変わって人生をリセットしたい感覚があったので、むしろ良かったなと。
学生時代までは、どうしても学歴という物差しで評価されるじゃないですか。その価値基準から抜け出してみたかったんですよね。
実際に入社してみると、新人にもどんどんチャレンジをさせてくれる社風で、メンバーが自発的に考えてチャレンジするので、学歴関係なく人が伸びていく環境がありました。考えて、決断して、実践。これを繰り返せば、人は伸びていくというところを間近で勉強させてもらいました。
モチベーションに頼らない“努力”
「稲とアガベ」は、今年で創業から4年目を迎える
市川
新政酒造さんを退社された後は、念願の酒造を立ちあげるために、起業の準備に入られたんですよね。
岡住さん
そうですね。農業と居酒屋のバイト、ときには雑貨屋さんではたらいて、秋田のお店の立ち上げにかかわって…と朝8時から夜の12時まではたらく毎日でした。
市川
16時間もはたらかれていた…! 酒造へのモチベーションが高かったんですね。
岡住さん
正直、モチベーションで動いたりはしていません。やると決めたから、実現できるまで突っ走る。ただそれだけでした。モチベーションがあるから頑張るとか、目の前にご褒美の人参がぶら下がっているから頑張るという感じではないんですよね。
一方で「しんどいな」と思ったこともなかったです。「しんどい」と思ったら、僕が避けたい「悩みモード」に入ってしまうじゃないですか。だから「しんどい」と思うこともやめました。
市川
「しんどいと思うこともやめる」って、すごい覚悟ですね。
その後、無事資金を貯め、ブランドをつくって販売実績を積み、2億円の資金調達に成功。そうしてさまざまな人からの勧めもあり、秋田県の男鹿市で酒造をスタートしたんですね。
岡住さん
そうですね。自分が想像したよりもずっと順風満帆に事業が進みだしました。あまりにも幸運で「俺の人生、こんなにうまくいっていいのか!?」と思ったくらい(笑)。
市川
努力を努力と思わず、情熱を燃やした結果でしょうね…!
事業に重要なのは、手触り感
「稲とアガベ」のメンバーの皆さん
岡住さん
僕ははたらく上で、「手触り感」が感じられることが大切だと思っています。なので、自分の手触り感が届くスコープは大きくしすぎないようにしていますね。
スコープを考えるスタートは「家族を幸せにしたい」でした。そこから社内のメンバーもだんだんとその対象になり、地域のお世話になっている人の顔が浮かぶようになり、今はお世話になっている男鹿の地区くらいになったなという感じです。「日本や世界を幸せにします!」とまでは、僕は言えないかな。
ラーメン屋「おがや」には、行列ができることもあるそう
市川
今、男鹿市街には、「稲とアガベ」の手がける施設がいくつも並んでいます。以前はシャッター街だったとお聞きしましたが、今の街の様子はいかがですか?
岡住さん
明らかに街を歩く人の数が増えている様子が感じられます。僕たちが運営するお店の売り上げも、前年同月比でみても伸びています。
市川
今は、「幸せにしたい対象」として、街の人たちにスコープを当てていらっしゃるんですね。
岡住さん
そうですね。心も体もボロボロだった自分を受け入れてくれたのが秋田という土地。新政酒造で酒造りを教えてもらい、ときには、居酒屋で出会った見ず知らずの人たちに「秋田さよぐ来た!」とおごってもらったこともありました。
「心を燃やして生きていく」という気持ちにさせてくれたのが秋田なので、恩返しをしたいんです。
僕たちは「お酒は地域のメディア」だと思っています。酒がおいしければ、それをつくっている地域のことを知りたくなりますよね。だから僕たちの酒を介して、男鹿に人を呼び込めたらと思っています。
僕たちが2023年に立ち上げた「おがや」というラーメン屋もそれと同じ目的です。行列ができているのを見たときは感慨深いものがありましたね。事業を続けてきてよかったと思いました。
市川
岡住さん率いる「稲とアガベ」は、これからどんな風に人を喜ばせていく予定ですか? 今後の事業展開を教えてください。
岡住さん
今年中に蒸溜所とスナック、来年3月にはサウナのついたホテルなどを展開していく予定です。ただ、これからも多角化し続けることは考えておらず、今ある事業をそれぞれ拡大できればと考えています。それによって、男鹿がより元気になったらうれしいですね。
もう一つの目標は、男鹿市でのチャレンジャーを増やすこと。僕たちばかりチャレンジしているだけでは、多様性がなく、面白くありません。男鹿市を、僕たち以外の移住者なども新しいチャレンジができる場所にして、次世代につないでいくことができたらいいなと思っています。
せっかく生まれたんだから、少しでも多くのひとを豊かにして死にたいですね。
<取材・文=市川みさき>
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